自分の常識を疑ってみる

常識とは、普通人が社会生活を営むためにもち、またもつべき意見、行動様式の総体をいう。これは経験の集積からなることが多く、時代や場所や階層が異なれば通用しないものもあり、多分に相対的なものである。

ー ブリタニカ国際大百科事典 参照 ー

 

簡単に言えば、多くの人の共通認識・意見・慣習という感じでしょうか。ルールやマナー的なニュアンスで受け止めているものかもしれません。皆が当たり前と思っていて、それで物事が円満・円滑に進んで行く分には何も問題はないのですが、ネット社会で多くの人の意見・考え方がぶつかり合う機会が増えた今日では、アバウトに「常識」と括れない事象も多々見られるようになりました。

よく語り草にされる事例では、昭和の時代は根性論が根強く支持されていて、部活動やスポーツにおいて「バテるから水を飲むな」という、今では有り得ない恐ろしい考え方が普通にまかり通っていたし、先生や指導する立場の人間もそれに異を唱える者は見たことがありません。過去の常識が今の非常識という典型例です。

 

私たちの周りには、常識と思われているものが沢山ありますが、果たしてそれらは本当に万人にとっての当たり前なのでしょうか?自分にとっての当たり前なのでしょうか?単に昔からそういう風にしてきたからという理由で理不尽な制約の中でずっと窮屈な思いをしていないでしょうか?

常識から少々外れた考え方や行動には必ず攻撃してくる者がいることも、変な常識がまかり通ってしまう一因でしょう。個人的には惰性で続けている行事や慣習の中に「常識」と混同しているものがあるように思います。果たしてそれが当たり前なことなのか?誰もが納得しているものなのか?

 

私は会社員辞めて独立して、生活や仕事における環境や考え方が大きく変わりました。結果、会社員時代には当たり前と思っていた事が今は?????だらけです。

例えば「給料」。一応会社毎に給与基準があるでしょうから同年齢・同キャリアでも誰もが同じような金額にはなりませんけど、では今貰っている給与額は本当に貴方に見合っているのかどうか?高いにせよ安いにせよ、その金額は世間の常識ですか?会社の常識ですか?貴方の常識ですか?

会社はなぜ今の場所にあるのか?なぜわざわざ交通機関が混む時間に会社に行かなければならないのか?なぜ毎日朝礼をする必要があるのか?・・・

それらは本当に常識なのだろうか?

 

最近では会社の行事も見直される傾向にあるようで、社員旅行や運動会等は必要性を感じないということでやらなくなった職場も多いみたいですね。逆に求人広告で「社員旅行あり」とか「社内レクリエーションが盛んです」なんて載せようものなら逆効果という話も聞きます。これなんかは会社の常識と働く側の常識に食い違いが生じている一例でしょうか。「仕事外で他人の時間に付き合いたくねーよ!」という働く側の意思が会社行事に影響を及ぼし始めた兆候かもしれません。

 

自分がこれまで当たり前と思っていた労働環境での常識みたいなものを一つ一つ精査していくと、やらなくても良い事が多かったことがハッキリしてきました。まあもうサラリーマンではないので組織の「常識」に縛られて行動しなければならない機会も減ったし、単純に比較もできませんけど何事も疑ってみることによって理不尽な常識の支配から外れる事が出来ているし、それで生活に悪影響が及んでいることもない。それどころか自分で自由に使える時間は増えたし収入も増えた。ストレスフリーな生活を満喫できるようになったのも、常識の枠に囚われず、自分で考え行動する大切さ・面白さを知ってしまったから。

その「常識」は本当に「常識」なのか?

その答えが自分を前に進めてくれる。

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