貴方の人生にジャイキリはあるか?

ジャイキリの原点は無邪気さから始まる
SDGsが声高に叫ばれるように情報社会は世界中の細かい問題点を世に知らしめるようになってきました。
と同時に世界的なイベントの開催も開催国での何かしらの問題に引っ掛かり、円滑な運営に支障をきたすようになっています。
北京オリンピックでは人権問題で多くの国で何らかのボイコット運動が起きていますし、コロナの最中に強行開催された東京オリンピックではロゴや競技場のデザイン問題、運営費の高騰、そして今更ながら利権に絡む談合が明らかにされています。
発展途上国の開催では毎回のように競技場・設備の建築・準備の遅れで開催が危ぶまれますし、先進国の開催であっても放映権・利権の関係で競技時期・時間が選手のコンディションを無視して決められたりしています。
今や異常気象とも言える真夏の東京での開催も記憶に新しいところでしょう。
現在開催されているサッカーW杯カタール大会も、当初はヨーロッパのサッカーのオフシーズンである6月7月辺りが選手招へいに最適時期として検討されていたが、中東の6月7月は平均気温が40度前後と選手や客にとって過酷なため11月12月の開催に落ち着いた経緯があります(それでも気温は30度近くになり運動するには結構暑いですけど)。
今では猛暑日(気温35度以上)が珍しくない東京での夏開催がいかに無理があったかわかりますね。

ジャイキリを起こす魔法のランプは意外に近くにある
時期的には何とか決着をみましたが、カタールでは開催運営のためにスタジアムを7つも新設することに。
もはや突貫工事が当たり前になっていますが、国の面積は秋田県よりやや小さい規模の国力・人口では建設工事における労働力は周辺国やアフリカ諸国からの出稼ぎ労働者に頼らざるを得ない。
そしてスタジアムには冷房システムを導入し、世界初の冷房完備の快適な大会だと大会の組織委員会がアピールしたいがために通常の建設より過酷な労働が労働者に課されたと非難されることに。
1日12時間以上働かされているとか、空調設備もない粗末な宿舎に大勢詰め込まれたとか、転職の禁止とか、カタール開催が決まってからのこの10年ほどの間に1万人近くの労働者が命を落とした等と報じられています。
その後も突然宿舎を追い出されたり、賃金の未払いなどが起きていることも報告されている。
更にカタールでは法で同性愛が禁じられていることで法に触れた者が拘束され虐待を受けているとも指摘され、世界の流れに逆らうような国での開催に多くの国が懸念を示し抗議行動が起きています。
ヨーロッパでは多くの国でパブリックビューイングが中止となり、選手は抗議行動のシャツを試合前に着て練習したり、観客も抗議の横断幕を掲げるなど、純粋にスポーツを楽しめる雰囲気にはなっていない。
大会一つ開催するのに裏では多くの犠牲と数えきれない諸問題が渦巻いていることは忘れてはいけないなぁと。
そんな面倒な大きな大会の立候補が相次ぐのは利権で美味しい思いをする者・組織があるからでしょう。
日本でも東京で懲りずに2030年の冬季オリンピックを札幌に招致しようという動きがある。
さすがに国民は呆れていますが、さてさて一体どうなることやら・・・

諦めなければ勝ち負けは紙一重! ※日刊スポーツより拝借
それでも何だかんだ言っても、いざ大会が始まると選手のパフォーマンスに魅せられる。
政治とスポーツを混同するなとは、やはり選手の努力には最大の敬意を払いたいですよね。
そしてカタール大会では強豪国がまさかの負けを喫することが多いのも特色か。
格下の相手を舐めているわけではないのでしょうけれど、どこかに油断・スキが出ているかも。
アルゼンチン(3位)ベルギー(2位)ポルトガル(9位)に負けがつき、ドイツ(11位)とスペイン(7位)は日本(24位)に負けるという・・・
※2022年10月6日時点でのFIFAランキングより
結果、ドイツとベルギーは1次リーグで敗退し決勝トーナメントに進めず。
スペインも試合中はあわや1次リーグ敗退の状況にもなっていて、日本が死の組をまさかのトップ通過。
開催前にはコスタリカに勝ってドイツとスペインのどちらかに引き分けて他力で決勝進出というのが最善説であったような。
それが絶対の2強に逆転勝ちとか、AIでも予想できなかったでしょう。
スポーツの世界では大番狂わせのことを「ジャイアントキリング = ジャイキリ」などと呼んでいますが、今回の日本の活躍は果たしてジャイキリだったのだろうか?

この決定的瞬間映像こそジャイキリ! ※スポーツ報知より借用
選手の立場からすれば「冗談じゃねぇ」と思うかもしれません。
体格の差は仕方ありませんが、それを補う練習量とスピード、組織的連携や戦術においては決して引けを取らないと考えているでしょう。
それまでの国際的経験や過去の実績が相手を必要以上に大きな存在と意識している部分は否めない。
しかし最近は日本人選手も海外に武者修行に出て、その偶像が実は絶対的なものではないことを貴重な経験・知識として日本代表チームに還元している。
フィジカル的にも以前のように太刀打ちできない差ではなく、世界との差は確実に縮まっている。
つまり現在においてはジャイキリというのはこれまでの世界観、マスコミによる虚像という部分が大きい。
またW杯やオリンピックは基本的に開催が4年毎であり、余程のサッカーファンでなければ4年前の大会のイメージ・結果が印象に強く影響する。
FIFAランクも実際はコロコロ変わってはいるのだが、優勝経験国のイメージは強い。
カオスな時代では、ジャイキリはもう大番狂わせではなくなっているのかも。
誰にでもやりようによっては下剋上のチャンスが訪れているのではなかろうか?
自分にとって過去にジャイキリと呼べる経験はありますか?
それは何故ジャイキリだと思うのか?何が大番狂わせだったのか?

貴方の誕生だってジャイキリの結果!自信もって行こう!
実は自分が勝手なイメージを創り上げて負け犬に成り下がっていたのではないか?
相手が大きく見えていただけで、実はハリボテのスカスカな中身を恐れていただけなのでは?
だから闘ってみたら勝てたりして、それをジャイキリと高評価しているだけなのでは?
闘う前から妙な威圧感に飲み込まれて臆していませんか?
闘う相手は同じ人間同士。何を考えていそうかわかりそうなもんですよね。
もし上から目線で見下して来ようものならカウンターのチャンス!
こう来たらこうすると揚げ足をとってやりましょう。
そのためにも自己防衛手段は必須。
無防備のまま飛び出して行っても、ボコボコにされるだけでジャイキリは成り立たない。
まずは法を学び相手を兵糧攻めのように追い詰める。決して相手の土俵で殴り合ってはいけない。
巷のケンカのように無益な争いは放っておけばよい。
それより生活をかけた「労働」において勝つための戦略・戦術を磨きましょう。
過去のまぐれなジャイキリではなく、勝ちに行って勝ちましょう!

壁の向こうにどれだけ行きたいかで結果も変わる
ジャイキリって自分が進みたい世界での勝利だと思うのです。
ブラック企業で悪条件で辛い思いして働いていても、そこにジャイキリなど無い。
土俵を変えるべきです。
ジャイキリは未来に向けて立ちはだかる壁のようなもの。
その壁を乗り越えることで未来が見えてくる。
そのために何をすればよいか?その壁の向こうに本当に未来があるか?
そこを知らなければ、苦労している割に人生は前へ進んでいないということ。
結局どうなりたいの?に人生は集約されます。