成長してる?
ある時期を過ぎると肉体的な成長は止まるとされています。中高年になっても身長が伸び続けているなんて人はいないでしょう。体重は伸び盛りになる人はたくさんいますけど、それは成長とはちと違う。
精神的な成長が止まるのは他人の目からはわかりづらい。本人でさえわからないかも知れません。
社会人になっての成長は主に仕事の部分で感じられますよね。それは量をこなせるようになったとか、時間を短縮できるようになったとか、根回しが利くようになったとか、会話やマナーがまともになってきたとか(笑) そしてその成長に対して昇給・昇進が与えられるのが一般的な会社でのお話し。
それらは第三者に見える成長の形であるから評価とすることができるのですが、精神的な成長というのはなかなか評価に結びつけることが難しい。何をもって精神の成長とするのか?簡単に言えば会社に寄与しない部分ということで評価に値しないということでしょうか。しかしここを疎かにしている会社もしくは本人はやがて伸び悩むことになるかもしれません。
上っ面の売上げ・成績は重視するが、努力やプロセスを軽視している企業・会社は多い。極端に言えば数字さえ残せるなら人間でなくても構わないし、他人に迷惑をかけようが何しようが知ったこっちゃないという経営者は実際にいる。たびたびニュース等で報じられる社内での陰湿なイジメ行為などは、精神的に未熟な者が集まりそれを統率できない経営者の会社で起こり得る。
別に「他人に優しくしましょう」とか「真面目に仕事しましょう」とか綺麗事を言うつもりはありません。組織の成長には組織内の競争や活性化も必要だし、そのための各個人の成長は絶対必要な部分なのですが、会社も個人もそこをどのように考えているのかが不足しているのではないかと。単に自分が生き延びるために歪んだ行為が横行しやすい状況は、結局は誰も幸せにしない。
他人の絶対的な支配下においては、言論・思想が監視されているような部分もあり、自由な発想・意見・行動が生まれにくくなるかもしれません。それは個人の成長を妨げる大きな要因となっている。会社員を辞めてみるとここで述べている意味がよくわかるかも知れません。実際私自身、独立してからは年々老いていくのとは反比例するように世の中がよく見えるようになり、発想力も会社員時代より豊かになったと勘違いするほど頭の中は充実しておりますだ。ちっぽけな世界でも自分を失わないことだけは肝に銘じている。
精神的な成長は年齢とは関係なく続けられるのは間違いない。一流企業のトップクラスを見ても常に前向きな発想を発信しているし、精神の成長を続けることは若さを保つ秘訣のように感じたりする。創意工夫とチャレンジ精神を失った時、人はもうその一生を終えたも同然。還暦を目前にして妙に騒ぎ出す変なオジサンではありますが、それはまだまだ精神的な成長を続けている証だと。決して精神が幼稚なわけではありませんぜ!^^;
ドライバー職というのは仕事は用意されているが、時間に追われ体力も消耗し、なかなか精神的にどうだこうだと言える余裕もない。ただひたすら1日を運転と配送に費やすことの繰り返し。息抜きは睡眠時間を削ってのスマホゲームと狭い車内でのカップラーメン。傲慢な経営者に足元見られて拘束されおかしな搾取ビジネスの歯車としか扱われない。精神の成長が許されないのはまさにブラックな労働環境ではないか。
井上陽水の「夢の中へ」という歌が妙に心に響きます。「探し物はなんですか?見つけにくいものですか?」と。自分の人生ってそんなに見つけにくものではないと思うんです。ただ見つけようとしないだけ。ドライバーしかできないと思い込んでいるだけ。「辞めたい辞めたい」と口癖のように言っているドライバーはたくさんいますけど、そこから先に進まないのは精神の成長が止まっているからではないだろうか?枯れかかった心に水をあげて元気になって欲しいものです。成長が止まった人生は悲しすぎる。