配達スキルが1日200個を超えるドライバーに待ち受ける危険な未来
何だかんだ言っても軽貨物運送業という仕事は需要があります。
いろいろな理由はありますが、何と言っても開業のハードルが低く普通運転免許さえ持っていれば誰でもすぐに開業ができる。
初心者でも割と簡単に仕事にありつけるため、中高年のリストラ対象者や人の下で働きたくないフリーターの受け皿として、ある意味セーフティネットとしての役割を担っている。そして同じ運送系の仕事でもトラックドライバーやバス運転士といった深刻な人手不足という状況とは一線を画している。
その一方では「個人事業主という弱者的立場」や「いいように働かされる」といったイメージが散見し、取り急ぎの生活のための逃げ道とはなるが、生涯安心して働くことが出来るのか?と言った不安を抱く方も多いことでしょう。
月収70~80万円を稼いでいる人がいる一方で過酷な労働環境に挫折し去っていく人も少なくない。
誰もが同じ結果にならない働き方でもあります。
では1日200個以上配達できるようなスキルを手に入れれば、軽貨物運送業での「勝ち組」確定となるのでしょうか?
私はどうも最近の「200個が基準」みたいな宅配ドライバーの言動を見聞きしていると、見えない力に動かされている未来の人間の姿みたいな一抹の不安を感じるようになってきました。
そんなところから今回のお話を進めていきたいと思います。
配達スキルが200を超えてくると、人を見下したくなる?
- 宅配においては1日200個配達が一つの目安
- 200個なんて難しくないと嘯(うそぶ)く見苦しい余裕
- 100~150個程度のスキルの者を見下す発言って?
- 配達自慢にやがて訪れる大ブーメラン
- 配達スキルがあっても生き残れるのはあと何年?
- まとめ
1.宅配においては1日200個配達が一つの目安
配送仕事のスキルを表す指標として、「1日の配達完了数」というのがあります。
いつの頃から「1日配完200個」ができる人かできない人かで、稼げるか稼げないかのボーダーラインとしてもイメージされるようになっています。
それは経験した者が肌で感じられる「限界的数値」でもあり「可能な目標数値」でもある微妙なところ。
初心者にとっては最初は相当に高い壁として感じることでしょう。
それゆえに日々仕事をしていく中で、着実に配完数を増やすことができれば収入も増えていくし、「1日配完200個」という「無理ゲー」だったものが「可能な目標数値」として見えてくる。
この頃が軽貨物を始めて一番面白く未来が明るく感じている時期だと思います。
目安・指標があることは、どんな仕事でもやりがいに繋がるでしょう。
2.200個なんて難しくないと嘯(うそぶ)く見苦しい余裕
目標と言うのは到達するまでが困難な道のりではあるが、一度到達してしまうと変な余裕が出てきて「こんな数字、誰でも出来るぜ!」と嘯(うそぶ)くことってありませんか?
例えば自転車に乗ることもそう。乗れるようになるまでは何度も転んでくじけそうになるのに、ある時、いとも簡単にコツを掴むとあ~ら不思議。
急に自分がカッコよくなったような気になり、誰かに見せびらかしたくなって無謀にも公園の外に出て行ったりしてやっぱり痛い目に遭うとか(-_-;)
自分が「配完数200個」を達成すると、それが自信になり一つの肩書として対外的に触れ回りたくなる。
肩書にするのはいいんだけれども、急に「配完200個なんて大したことないぜ」と大見得を切るのはちと恥ずかしいかな。
せっかくのスキルも人間性が台無しにしてしまうことってありますよね。
3.100~150個程度のスキルの者を見下す発言って?
人間って醜い生き物だなぁと思う時がある。
なぜか比較したがり、劣っている者に攻撃的な言葉を浴びせる人っていますよね?
宅配ドライバーの中にも「何で200個配達できないんだよ!」と容赦ない攻撃をしてくる者がいる。
大抵は200個配完を達成し変な自信を手に入れたドライバーがマウントを取ってくる。
「お前に出来ない事を俺様は出来るんだぜぃ!」と上下関係を作り上げる悲しい人間性を持った人。
マウントを取りたがるのは運送業界では当たり前というか、何でそういう人間性を持った人が集まってくるのだろう?
上に媚び下に当たり散らすのは運送会社の中間管理職にはよくいるが、個人事業主の集まりである軽貨物ドライバーの間で200個配達できるかできないかというのがそんなに絶対的なことなのかなぁ?
と、私は最近のユーチューバーやドライバーさんの発言に少々危うさを感じているのです。
4.配達自慢にやがて訪れる大ブーメラン
確かに配達スキルに長けていることは素晴らしいと思います。
単に動作が速いとか腕力があるというだけでなく、配達順やコース取りを瞬時に描き、天候や道路事情にも臨機応変に対処し日々安定した配達数を完了させる。
一般的な職業・企業であればエースであり幹部候補生として手厚い待遇が待っているでしょう。
しかし所詮は請負の個人事業主です。単なる使い勝手の良い一つのコマに過ぎないのです。
それが証拠にスキルに見合った単価の見直しとかありませんよね?
配達数が増えた分、収入も足し算的に増えるでしょうけれど、それは都合よく働かされた結果にすぎない。
本人の能力に対する評価ではなく、単に働かせ放題の産物なんです。
それどころかAI時代の判定はスキルが高い者のノルマは増える一方。下手すれば他者のサポートまで指示される。
スキルの上に胡坐をかいていると、スキルがあるだけに負担を背負わされるというそんな時代なんです。
5.配達スキルがあっても生き残れるのはあと何年?
スキルがあれば突然辞めさせられることはないでしょう。
でも足元ではその法則は揺らぎ始めています。
世間では自動運転、無人配送、ドローン配送など、人手不足とコスパに向き合うための様々なアイデアが実用化されつつあります。
まあ来年再来年というわけにはいかないでしょうけれど、確実に運送の世界にも人の手を使わない配送手段が実現していくことでしょう。
置き配などもその一つ。無人配送をより実現しやすくするためのルール作りが行われているのです。
そして世の中は配送スピードを求めない方向に動いています。配送料を増やさず配達員に負担をかけず24時間回すことで配達数の増加に対応していく。
そんな社会が実現すれば人間を極力使わずに任務を完了させることが可能になる。
つまりいくらスキルを持ち合わせていようとも、人間自体を必要としない社会になれば誰もが安泰ではなくなる。
せっかく高いスキルを身につけたのにぃという人ほど、そんな未来が来ればショックは大きい。
ドライバーの仕事は絶対に無くならないと言い張る人も多いが、自分の配達スキルがあと何年役に立つかと考えた時、ちょっと目の前が暗くなるかもしれませんね。
6.まとめ
私たちは「吹けば飛ぶよな将棋の駒」みたいなもんです。
駒の一つ一つは重要な役割がありますけれど、外部から大きな風が吹けば簡単に飛ばされるんです。
2024年問題においては運送業には5年の猶予が与えられていたにも関わらず、実際には実施日になっても解決できずに未だにバタバタしている始末。
そして倒産・廃業は後を絶ちません。いや、むしろ増加の一途を辿っています。
ドライバーの仕事は絶対に無くならないという謎の自信も、毎日のように誕生しているAIがとんでもないことを出来るようになっている現実を受け入れることができれば、配達スキルのあるドライバーでも未来は不透明と言わざるをえません。
中高年ドライバーが多い軽貨物の世界ですが、じゃあ10年後までバリバリにスキルアップしてやっていく自信がありますか?と問われればトーンダウンするでしょう。
体力は確実に失われ、毎日200個以上の配達を続けたいとも思わないでしょう。それが正常だと思います。
そんな心配より配達の仕事というものが10年後も同じように存在しているか?と言われれば、誰もが「ハイ」と答えられないことは感じていると思います。
配送スキルごときで他人にマウントを取るより、自分の働き方をどう進化させていくのか?
配達数を競うよりもっと考えなければいけないことがあると思うのです。