自分軸で未来を創る

軸は本体を支える大事なものなのです

2023年、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

毎年毎年、世界中で数えきれないぐらいの出来事が起きています。情報社会の良し悪しは知らなくて良いことも耳に入って来ること。
脳内での情報の取捨選択が上手くいかないと無用のストレスを抱えてしまいかねない。
現代の学生は世界史・日本史の授業・テストでは昔に比べ覚えなくてはいけないことが増え、大変だなぁと思える今日この頃です。

昭和の時代を知る者からすれば、年々生活環境における密度が濃くなってきている印象があります。
パソコンも携帯電話もインターネットも無い時代は、現代人からは想像も出来ないぐらい不便ではあったがストレスは今ほど無かったような。
だってそれが当たり前の世界だったから。
平成・令和と科学技術の進歩で世の中は便利になってきているのは間違いない。
しかし個々の感じ方においては何か慌ただしく落ち着かない時代に感じるのは何故だろう?

例えば受験対策においても早くから進路を急かされたり志望校を絞ったり、塾に通うのも今では当たり前。
これは「忙しい子供たち」というイメージの通り、まだ心身が整わないうちから慌ただしく行動させられている感がある。
加えてテレビゲームやYouTubeに触れる時間も「子供の付き合い」という上で必要不可欠。
昔は明るいうちは思う存分遊び、暗くなったら家帰ってご飯食べて寝る!という実にシンプルな記憶しかない。

社会人になればなったでパソコンスキルは当然で、SNSを駆使したり語学や資格の勉強にも励まないと待遇が良くならないどころか会社から追い出されるという危機感が、「30代でリストラ」みたいな偏った情報にも煽られて勤勉な社畜という生涯落ち着けないポジションを全うすることになっているのではないか?

やることがないから忙しい?

結局時代が進歩して便利になったとはいえ、子供たちも大人もやることが増えて自分の時間が無いことが「密度の濃さ」に繋がっていると思われる。
いや、「やることが増えている」というより「やらなくてもよいことをやってしまっている」というのが真実なのでは?

やっていることの一つ一つを紐解いていくと、それぞれにやる理由は存在する。
しかしその「やる理由」の絶対的な必要度・優先度はどうなのか?
「何のために・誰のために」という本質より「皆がやっているから・常識だと思うから」という消極的理由で行動していないか?

何故皆と同じことをやるのか?それは何に対しての常識なのか?
ほ~ら、行動の根拠が怪しくなってきましたね(笑)

受験に失敗したくないから。リストラされたくないから。
模範解答的な言い訳ですな。まあ行動動機としてはごもっともな部分はある。
しかし問題にすべきは「~になりたくない」という追い詰められた形になっているのはマズイ。

そうではなく「どうしても~になりたい、なるためにはどうする?」という積極的な姿勢が大事。
逃げの姿勢か?攻めの姿勢か?
これで人生がだいぶ変わると思うのです。

緊急性のないものばかりに振り回されてるんだよなぁ・・・

日常が慌ただしく落ち着かないというのは、やらなくてもよいことをやってしまっていることが原因の一つではなかろうか?という仮説に辿り着いたのは先にも触れた「昭和の時代」という比較対象の経験があるから。
よく無駄な時間の代表格として引き合いに出されるのがメールやSNSの頻度。

いつでも見れる・残せるという記録媒体としての利用価値は高いのだが、いつの頃からか既読・返信のスピードが求められるようになっていませんか?
常にパソコンやスマホと睨めっこして既読・返信スタンバイしているなんて、まあ他人に振り回されている典型的な姿でしょう。
だったら電話でいいじゃん!という話。

結局、自分の行動に何らかの制約が課されることでやらなくてもよいことが発生する。
特にノルマやスピードという誰もが平等に対応できないことに無理に合わせようとすると、早く出社したりフライング気味な行動でルールを捻じ曲げたりと変な方向に走り自分を苦しくしていく。

組織のルールはもちろん大事だが、そのルールの範囲の中でどれだけ自分主体に考え動けるか。
皆と同じ行動をし無難な言動に徹していればまあ間違いは少ないでしょう。
ただしそれでは良い意味での会社の発展には寄与しないし自分の成長にも繋がらない。

押しても引いてもビクともしない自分軸を!

まず1本、生き方に自分軸を持ちましょう!
自分勝手やワガママではなく、自分を成長・発展させるために自分のスタイルを確立するべきだと思うのです。
やらなくてもよいことはどんどん排除し、それが効率を上げ周囲への成果にも結びつけば誰も文句は言えないはず。
頭の固い者の中には過去の慣習や同調圧力に反する者に対してハラスメントをしてくるケースもありますが、今はそんなコンプライアンスに反する者の方が裁かれる時代。

かつて小泉純一郎氏が自民党総裁に選ばれた時に「自民党をぶっ壊す」というフレーズを多用し国民の期待を高めましたけど、それぐらい大胆に何かを変えていこうとしないと自分の人生はずっと誰かの支配下のままで終わってしまう。
「会社をぶっ壊す」とは到底口には出せませんけど、「変なしきたりをぶっ壊す」ぐらいなら応援・協力する者は出てくるのでは?

障害物はみんなぶっ壊してやる!

自分軸を持つことで、それまで何となく従っていた悪習や矛盾の正体に気付き変えていく原動力にもなる。
組織の中の自分というスタンスから、自分のための組織というスタンスへ!
それぐらい大胆に考えてみても良いと思う。組織に利用されるのではなく自分が組織を利用してやるみたいな。

自分軸を持つことで労働時間や収入をコントロールすることへの可能性が広がります。
まずは始業時間・終業時間という組織のルールから離れて労働を考えてみる。
これまでも「終業時間まで全員がいる必要ある?」という疑問を持たれていた方は結構多かった。
始業時間に遅れるのは罰せられるけど終業時間が伸びるのは何も言われないとか(最近は残業規制が厳しいので難しいですが)。

実質的には「人」「業務内容」「その日の進捗状況」等で早上がりや遅出は問題なくできるはず。
しかし始業・終業という全体的なルールを用いることで人の管理が楽になるという会社側のメリットが大きいのでやらない。
だからコロナ禍でリモートワーク・テレワークが可能なことが証明されても元に戻したがりましたよね。
フレックス制は採用している会社はありますけど。

収入 = 働く と決めつけるな!お金は作るのだ!

私の自分軸は「いかに収入を落とさず労働時間を減らしていけるか」です。
つまり労働対価を上げていくということですが、これは他人軸の下ではなかなか難しい。
特にドライバー職というのは「走ってナンボ配達してナンボ」という固定観念があって、だから労働時間が長くなることが放置されていたり1日200個以上配達するという方向を目指したりする。

その固定観念がおかしいと感じられたのは、いつも言っていますけど自分は全く別の業界を見て来たから。
稼ぐ = 長時間労働 みたいな世界観を常識として受け入れていてはアカンて。
いかに変な常識に染まらず自分軸を確立させられるかは絶対に大事。

そのためにもやらなくてもよいことはやらず、いかに対価の高い働き方を取り入れ時間を生み出すか。
幸い年々収入を減らさず労働時間を減らすことができている。
引き続きその自分軸が2023年の働き方の指標となります。

本年も健康に留意して居心地の良い働き方を探していきましょう!

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