負けの美学 負け方が本当の勝敗に繋がる

負けたから友達になれた・・・
金利が上がり物価が上がり税金が上がる。しかし収入や年金は下落の一途。
家計の負担、将来の不安は増すばかり。しかし仕事も投資もパッとしない。
身の回りに明るい話題、夢や希望ってありますか?
毎日が余裕が無く楽しくない。
いったい私達は何を頼りに生きていけばいいの?
何をやっても上手くいかない時ってありますよね。
昔風に言えばバイオリズムの相性が悪い・合っていないみたいな。
バイオリズムとは、生物が持つ基本リズム(身体、感情、知性)にはそれぞれに一定の周期があり、それらの周期の上昇ピークが重なるタイミングが「バイオリズムが良い」、下落のピークが重なるタイミングが「バイオリズムが悪い」みたいな使われ方をしていましたね。
医師や学者がもっともらしい説明をしていたことから当時は多くの人に受け入れられ、今から約50年前には保険会社が販促用ツールとして活用していたり、カシオ計算機からはバイオリズムを表示する電卓も発売されるなどバイオリズムによる恋愛や相性診断等で盛り上がり、生活に深く浸透していた昭和の時代でした。
今なら間違いなく「バイオリズム」は流行語大賞となっているでしょう。
ところがその後バイオリズムの研究・分析が進み、個体差や状況の変化でも数値が一定しないなど懐疑的な意見も多く出され、科学的根拠としては少々弱いと見られている。
「体内時計」という似たような生物のシステムがありますが、確かに個体差はあるし体調によって安定しない時がありますもんね。
それでも「バイオリズム」という言葉の響きが心地良いのか現在でも良く使われています。
当然アプリにもあるでしょうし人によってはバイオリズムの考え方がピッタリ当てはまる人もいるでしょう。
何かを説明したり言い訳したりする際に「バイオリズムが~」と使い勝手が良いし(笑)

負けてきたからこそ今がある
そこで本題に入りますが、何をやっても上手くいかないということはイメージとしては「負け」みたいに感じることがあると思います。
特に就職・転職等の人生や生活に直結するような場面では、結果が出ないと落ち込みますよね。
どんどん自信を失い自虐的に陥っていく・・・
そこで気持ちを切り替えることができる人と、上手くいかない原因・理由を他に求める人に分かれていく。
気持ちを切り替えることができる人は冷静に結果を受け止めることができる。
負けの原因は自分にあるとしっかり理解し認め、敗因を取り除いていくことで次に活かし前に進める人は強い。
ところが往生際の悪い人はいつまでも負けを理解できず引きずってしまう。
負けは自分にとっては想定外だったということでしょうか?
それではいつまでたっても敗因は取り除けない。

負けたことには必ず理由があるんだよ
プロ野球界で選手・監督として活躍された故野村克也氏の名言の一つに「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」があります。
もともとは江戸時代の藩主であり剣豪でもあった松浦静山の言葉からきているそうです。
大相撲での金星やスポーツ界でのジャイアント・キリングのように、誰もが驚くような「番狂わせ」というものがあります。
勝った本人も実力的なもの以外な要素が加味されたと思うはずです。
番狂わせに代表されるのが、まさに「不思議の勝ち」でしょう。
一方で負けることもまた番狂わせと言われることがあります。
大抵は実力差が相当に開いているケースでの上位者の敗戦となるのですが、この場合は「不思議の負け」とは言いませんよね。
必ず負けた理由(油断・手抜き)を指摘されるし、落とし穴とも表現される。
番狂わせに限らずとも、負けた理由は必ずあるとされるのです。

相手を間違えたら勝ち負けどころではない
勝負という場に臨むなら負けは決して喜べることではない。
勝つつもりで臨むはずだし負ければ悔しいのは当然。結果を受け入れたくないのはわかる。
しかし本気で勝つための準備は周到にされていたのかどうか?
勝つための準備というのには、闘う相手をキチンと選んでいたかどうかというのもある。
番狂わせを狙うのが悪いわけではないが、それはあくまでも不思議な勝ちの部類。
それで負けて得るものがあれば良いが、そこに時間と労力を費やすのはどうなのだろう?
ギャンブルで言う「万馬券」がわかりやすい。
もちろん一攫千金は魅力だが、この落とし穴に嵌って人生詰んだ者がなんと多いことか。

絶対に負けられない戦いが毎週のようにある
もし大学受験が1年に1校限定となったら入試対策は大きく変わるでしょう。
滑り止めという概念は無くなりチャレンジもし難くなる。
大学選びは自分の実力との兼ね合いとなり負けは許されないプレッシャーは凄い。
そのプレッシャーに押し潰されて実力を発揮できないこともあるでしょうが、それは不思議な負けではないということ。
プレッシャーに打ち勝つことも準備の一つなのですから。
就職や転職も年間1社限定となれば、大学入試と同様に対策も変わってくる。
社会人の1年は学生時の1年とは重みが違う。
学生としての留年はその分勉強が余計に出来るという考え方もできるが、社会人としての空白期間は生活にも履歴にも影響が大きい。
転職の場合は現在の職を手放さなければ見かけ上はそのままでいられる。
しかし実際は転職を考えるほどに問題を抱えているはずなので、早く次の職に移りたい状況でしょう。
そこで1年1社応募の限定ルールとなると、やはり数打ちゃ当たる方式は使えない。
失敗すればまた1年を悶々と耐えることになるので応募先選定は真剣になる。
このような無茶なルールに比べれば現状がいかに恵まれているかがわかります。
受験も就活も複数選択できるメリットは大きいのです。
ただそのメリットを活かすことなく数打っていても、命中度は上がらない。
命中度を高めるためには捨て玉も大事。
しかし数打つことで威力(本気度)は薄れていませんか?
どれか当たるだろうと他力本願的になっていませんか?
捨て玉の一つ一つにも負けの理由があるはず。
なぜ数多く打つのか?
なぜ当たらないのか?
本気玉と何が違うのか?
負けることで学ぶことはたくさんあります。
一回闘っておくことでリラックスできる効果は確かにある。
試験会場や面接場の雰囲気に慣れておくことはその後のメリットとなるでしょう。
本当の目的のための負ける場を作ることは大きな意味がある。
次のステージに向けたステップとして割り切っているなら負けは負けでなくなる。

負けのマイナスイメージから解放されましょう
いたずらに結果に翻弄されていてはいけないんですね。
この負けは次に繋がるための過程なのだと。
投資の世界にも「損切り」が上手い人は最後には儲かる人だと言われています。
損している・遠回りしているようで、「一時の負け」が最後に勝つための戦略だと考えれば気持ちも少し楽になるのでは?
負けは勝利のための撒き餌にすぎないと考えましょう。
もちろんただ撒けば良いというもんじゃありませんが。
現代人は結果を急ぎすぎる!
自分は完璧でないのだから負けることはあるとボチボチと歩いて行きましょうや。
「ウサギとカメ」の物語で最後に勝ったのはどっちでしたっけ?