身近なキャパシティ
勉強をしていてふと自分の頭脳の限界を感じたりしたこと、ありませんか?
仕事をしていてふと自分の能力の限界を感じたりしたこと、ありませんか?
若い頃に比べてふと自分の体力の限界を感じたり・・・しますよねぇ・・・
いずれも比較の対象があるからこそ限界と思ったりする。
昔⇔今 自分⇔他人 etc…
何事にも個人差・個体差はあります。
そこに悲観することなく、いかにその差を補うかで人は生きていくことができる。
そして補うためには、その差を認識し工夫・努力を惜しまないこと。
しかし誰もが簡単に出来ることではない。
中には限界と感じずに「単に自分に向いていない」とすぐに諦めたり、飽きっぽかったり責任転嫁したりして逃げることが常態化する人がいる。
本当は本人の潜在能力はもっと高いのに、自分で限界を作ってしまうんですね。
勉強しだすとすぐに眠くなってしまう・・・
自分より仕事ができる人を見ると自分を卑下してしまう・・・
もう若くないから動けなくて当たり前・・・
限界グセ、諦めグセがつくと、やがてはその人の様々なキャパシティ・パフォーマンスもどんどん小さくなっていってしまう。
いろいろな場面で自分を過小評価すること、多くなっていませんか?
キャパシティという言葉、いろいろな場面でよく使われています。
「許容量、収容力、うつわ」など限界的な大きさを意味することが多いです。一般的にはキャパと略されて使われるので聞いたことがあるでしょう。
よく会社のキャパを超えた仕事量を受けちゃって現場がにっちもさっちも行かなくなっているケースって見聞きしますよね。
売上至上主義の会社にありがちで、取引先にいい顔して現場のキャパを無視して受注することで、結果的に納期は守れないは品質は落ちるはで逆効果もいいところ。
例えその仕事で売上が立っても将来に繋がるとは思えない。倒産寸前だとしてもXデーが少し先送りされるだけで体質的に存続は難しい。
経営者の立場とすれば仕事は欲しいし多少の条件の悪さは仕方がない、というのは理解できる。
しかし「仕事をやらせてやる」⇔「言い成りで仕事を頂く」という強弱関係が当たり前のように出来上がっている日本社会はおかしいと思う。
人の上に立つ経営者なら自分の会社・職場のキャパと待遇を認識して動きたい。
どうしても職場に無理させる仕事であれば、きちんと残業代やら手当やらを支給できる売上を確保するのが当然であり、ニンジンがあれば従業員もモチベーションを保って頑張れるでしょう。
しかし大抵はムチのみでニンジンが無い働き方が横行している。
経営者は従業員のキャパを見ないで足元ばかり見ているんです。
会社を去りたくなければ黙って働け!と。
本来なら企業・会社を運営していく上で、様々な諸経費と人件費が切羽詰まらないようなプランでビジネスを回していくはずです。
しかし結局はビジネスなのに一方的に頭下げまくって足元見られまくって売り上げはカツカツ。経費の中でも削りやすい人件費に手を付けて賃金・残業代カットや人材カットを平気で行い何とか赤字を回避するとか、一体何がしたいのか?
当然労働力は減り、納期は遅れ品質が低下するばかり。それがその会社の評価となり、受注できる仕事の内容はどんどん条件の悪いものになっていくという負のスパイラルに。
まあ運送業界の見本みたいな例を挙げましたが、こういう環境で働くと将来展望など全くできなくなる。
その場つなぎ、その日暮らしという綱渡りみたいな生活は、先に述べたように潜在能力はもっと高いのに、自分で限界を作ってしまう方向へと追い込まれていく。
能力や相性というのもあるのですが、要は自分のキャパに適合しない働き方、キャパを十分活かせない働き方は人生を変な方向に誘導してしまう。
いくら時間と体力のキャパが余っていると言っても、特別やりたくもない仕事で10時間も15時間も働きますか?
キャパの範疇と自分に言い聞かせて残業代も誤魔化されて上司監視の中で長時間働くことに満足感が得られますか?
もし自分は大して能力も無いし最低賃金でも仕方がない、なんていう気持ちが少しでもあったならそれこそ自分を過小評価する悪い兆候です。改めましょう。
自分のキャパについてもっと掘り下げて考えていきましょう。
自分のキャパだけでなく周囲にあるキャパについて考えてみると、少し方向性が見えてくるかもしれません。
日本のキャパ、日本社会のキャパ、仕事先のキャパ、知人友人のキャパ、家族のキャパ・・・
キャパ = 可能性 と置き換えてみるとわかりやすいかも。
日本という国に希望が持てないなら他国で暮らすという選択肢ももちろんある。
まあ他国へ行ったら行ったでまた別のキャパを考えることになりますが。
日本社会のメリットデメリットを考え、メリットの多い暮らし方を考えてみる。
税や福祉については地域によって結構な差があるので、住環境を変えるというのは本気で自分の変化を望むなら一番効果がありそう。
仕事先のキャパについては、勤め先が無理な仕事を受け続けている状況ならそれは労働者のキャパ以上を求められる危険性が高いわけで、会社が先にパンクするか自分がパンクするか、パンクしたらどうするのか?は真剣に考えるべき。
知人友人のキャパというのは「コネ」とも言える。
意外に有益な情報や求人案件など持っていたりするので、活用しない手はない。
不満をぶちまけられる相手がいるというのは精神安定剤となる。
家族のキャパは最強でしょう。
運命共同体でもありますから最後はここが拠り所になる(はず?)。
自分も相手も互いにキャパの中に取り込んで一緒になったわけですから、能力や可能性も熟知している相手なら的確なアドバイスが期待できます。
自分の中のキャパで悩まず、周囲にはそれぞれキャパがあってどこに自分が収まれば上手く回っていくかを考えてみると居心地の良い場所はきっと見つかります。
自分のキャパを超えた環境で無理していては身体を壊し精神を病む。
そんな状況からは一刻も早く逃げ出してください。
自分に合った環境ならキャパも膨らむことでしょう。
それが成長というものです。
キャパを大きくすることができるのは夢や期待・希望。
抑圧された生活の中ではキャパも萎みっ放し。本来の姿ではありません。
それが自分だと錯覚して小さく生きていてはもったいない。