目的と手段を履き違えていませんか?

目的が定まらなければ終着地点は運任せ

私たちが生きている理由って何だろう?
どこへ向かって歩んで行けば良いのだろう?
生者必滅の無常の世界の中で、その僅か数十年足らずの短い期間の間に目指すべき終着地を設定することはおろか、思い描くこともせずにただただ時間だけが過ぎていくことを何とも思わないというのは、いったい不幸なのか幸せなのか・・・

何事もゴールがあって、そこへ向かって物事が動いていく。
そのゴール地点が明確な者と定まっていない者では、考え方や行動は大きく異なっていきます。
ゴールがハッキリ見えていれば、そこに到達するまでにかかる時間をある程度算定することができ、何を準備・何をすれば良いかが具体的になってくるでしょう。

ところが行き先もわからないまま、ただ闇雲に行き当たりばったりなことをしていれば、いつまで経っても心休まる日は訪れず達成感も得られない。
まぁバックパッカーのように自由気ままをモットーに行動したい人にとっては、ゴールはそのうち見えてくるという生き方もまた「真」であり、人生の醍醐味なのかもしれません。

ただそういう生き方ができる人はどのような結末を迎えているのでしょう?
FIRE(経済的自立&早期リタイア)している人であれば、それはすでに一つのゴールに到達しているということでしょうから次のゴールというのは決めても決めなくても気楽ですよね。うらやましい!

目的は何?ゴールはどこ?

ところが多くの人々は望まないルールの中で、「生活のため」という終わりの見えない闘いを強いられている。
なぜ闘いの終わりが見えないかというと、ゴールを設定していないからかもしれません。
ロシアとウクライナの状況も明確な落としどころが無いままズルズルと続いているし。

ゴール = 目的 と置き換えればもっとわかりやすいか。
目的なく働いていても、それじゃあ永久に搾取され続ける労働マシーンの状態を肯定しているも同じ。
自分は誰かの労働マシーンになるためこの世に生まれ、一生その状態であることを望みますか?
そんな人はいませんよね。

貧富の差が無くならない世の中では、残念ながら多くの人は労働マシーンとならざるを得ない。
いや、僅かでも収入が得られるなら労働マシーンであることに感謝する人もいるでしょう。
ただそこから脱出することは「希望」として持たなければならないし、そのためにも「自分はどうなりたいのか?」を具体的にしておくべきです。

それが「目的」となり、そこに向けて何をすれば良いかという計画性が生まれ日々の行動に繋がっていく。
目的のない生活は主体性も意志もなく、足元を見られ搾取されやすい。
就職・転職等でもただ求人の条件欄だけが志望動機みたいなことでは先々の苦労・後悔が目に浮かぶ。
職探しがゴール・目的となってしまう人には、確かに就活はゴールから逆算した理にかなった行動と思えるのかもしれませんが、現実は職に就くことは本当のゴールではないことに気付きましょう。

 

装備はあくまでも手段であり揃えることが目的になってはいけない

例えば私が一応現在の本業としている軽貨物運送業の世界でも、少々勘違いしている方々はいらっしゃる。
何故軽貨物の世界に飛び込んできたか?という理由は、手っ取り早く収入になるという理由は大きい。
問題はそこからのスタンスにあると思うのです。軽貨物でしか収入を得られない状況を自ら作ってしまう。

軽貨物ドライバーのほとんどはフリーの立場・個人事業主であり、会社員と違って本来は収入や労働時間等の働くルールは自分の裁量で決めることができます。
しかしこのメリットを活かそうとしない。

フリーという弱い立場、業界未経験という不安もあってスタートは大抵、運送会社や元請けの求人を頼りに始めることになる。
当然請負の条件・待遇は相手側のルールを呑むことになる。
最初はまあ仕方がない。どんな仕事に就いても最初は手探りから入る。

ところが労働のスキルが上がっていっても条件・待遇は当初のまま。
それどころかいつのまにか先方の期待値ばかり上がってノルマのハードルはきつくなっていく。
よく軽貨物ユーチューバーさん達がこぞって「1日の配達数200以上可能」をアピールしていますし、配達数を増やすコツなども伝授してくれています。

数量を競うことを目的にして働いては、相手の思うツボですよ!

確かに配達数を増やせれば相対的に見た目の収入も増えますから、満足度も上がっていく感じはするでしょう。
しかし実際は労働時間は増え消費するガソリン代も増え、自分の時間が持てなくなっていることにも気付きます。
体感的には最初の頃はともかく、やがて満足度が大きくなったとは言えないなぁと気付く日がやってきます。
それすなわち労働対価が割に合わないのではないか?という気付き。
配達数だって毎日保障されるわけではないし、逆に加齢や腰痛等で数を落としていくことは避けられない。

一般的な会社員であれば1日100個配達のスキルが1日200個配達スキル(営業マンなら売上倍増!)に変化すれば評価も変わるでしょう。
ところが軽貨物の場合は1日2倍配達しても評価は変わらず。どこまでいっても収入は配達数×単価で足し算的に増えるが経費と労働時間も増えていき持ち出しとなる。

何度も忠告していますが請負契約では残業や休日出勤という労基法上の概念はありませんので、会社員を経験した者にとっては違和感この上ないし疲労感も半端ない。
この労働が一生続くのかぁと嘆くようになる時にはすっかり搾取の罠に嵌っている。
運送業界にありがちな「嫌なら辞めな!代わりはいくらでもいるんだから」というハッタリの脅しも横行している。

嫌々働き続けなければならない原因は「ゴール」が明確でないから。
「ゴール」が現在の仕事に骨を埋めることであるなら、嫌でも続けていくことは正解なんでしょう。
しかし働く「目的」が収入を得ることなのであれば、今の仕事を続けることは果たして正しいと言えるのか?

軽貨物という働き方は「手段」であって「目的」ではない

手段は目的とはちがうんやでぇ!

今の働き方・仕事が「目的」になってしまっていると、窮屈や苦痛になってもそこから逃げられない。
1日200個配達はあくまで軽貨物の仕事の一つの目標であって、人生のゴール・目的はそこではない。
それが達成できないからといって自分を蔑んだり責めることは全くないのです。
大きな目的に向かう途中の一つのチャレンジだと楽しめば良い。しかも何度も試せるし。

今の仕事や働き方を最終地点とせず、さらなる高みへの準備期間と考えると気は楽になる。
手段・選択肢をいろいろ持つことでもっと景色の良い場所を目指せるはず。
現在は決して最高の絶景地点ではないのです。満足はもう少し先にある。

ゴールは今じゃない!その先にあると考えよう!

ゴール・目的と手段は明確に理解・区別しておくこと。
目的と手段を履き違えると、中途半端に人生は終わってしまいます。

今はその先の本当の「目的」に向かっての過程。すなわち「手段」の真っ最中。
人生の集大成としての目的地に向かって、今を楽しみましょう!

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