リスクとどう向き合うか?

失敗するリスクしか思い浮かばん!
私たちの身の回りには様々な「リスク」が潜んでいます。
「リスク」というのは一般的には悪いイメージで語られていますが、実は「不確実性」という意味合いが強いのです。
思った通りにならない可能性の度合いを「リスクが大きい」とか表現しますが、必ずしも結果が悪い場合だけが「リスク」ではないのですが、やはり日常で用いる時は「危険」「失敗」「損」というような、マイナスな結果を伴うシーンで使われますよね。
「成功するリスク」「儲かるリスク」なんて使い方、しないですもんねぇ。
人が新しく何かに取り組もうとする時に、なぜか周囲から「やめたほうがいいよ」という変な圧力がかかりませんか?
本人のやる気に水を差すような圧力はどうして他人から起きてしまうのか?
本人から見えている「リスク」と他人から見ている「リスク」の中身が違うことにも原因がありそうです。
日本人にありがちな「おせっかい気質」というのもありそうですね。
外国ではチャレンジを応援する傾向がありますが、日本人は止めようとする。
常に無難路線を好むDNAがついつい同調圧力となって他人に向けられる。

タコの目利きになるって決めてからリスクは楽しんでおるよ
それでも本人が強い意志を持って取り組もうとするのであれば、そのまま前に進むことはできる。
しかしどうしても他人の声は気になる。そのうち正しいのは他人の声の方なのではないか?と疑心暗鬼が頭の中に広がり、やっぱり止めておこうかとなったこと、ありませんか?
「初志貫徹」という四字熟語がありますが、なかなか実行・成就するのは難しい。
よく小学校の文集等で「自分は将来は〇〇になる!」と書くことがありますが、大人になった現在地点でどういう結果になっていますか?それともまだ夢の階段を上っている途中ですか?
まあ小学校の時の夢は大半はさほど世の中がわかっておらず、本気度もわからないでしょうから結果が違っていても仕方がない。
しかし中には初志貫徹してプロのスポーツ選手やオリンピック選手、一芸に秀でた職人になっている人もいるのですから、様々な「リスク」と向き合いつつそれを跳ね除ける姿勢も大事なのだとつくづく思い知らされますね。

目指していた専門職もAIに取って代わられるリスクが・・・
私たちはそれぞれが様々な働き方をしており、それぞれに「リスク」を伴いながら生活しています。
就職や転職のスタート地点ではこれからの仕事・働き方に「リスク」を感じ、巷の情報に振り回されて方向を曲げてしまうことも多々あるでしょう。
また、何とか職に辿り着いたとしても、そこから新たな「リスク」は必ず発生します。
減給・転勤・出向・リストラ・倒産・・・
しかし一方では昇級・昇進・上場という嬉しい「リスク」もあり得るのです。
良いも悪いもすべてひっくるめて「リスク」なのです。
マイナス要因だけ拾い上げておせっかいしてくる周囲の声に惑わされず、いかに自分の目の前の「リスク」の本質と向き合えるかが未来への秘密の扉をこじ開ける鍵となる。
貴方がやろうとしていることは本当に必要だからやるんでしょう?

気象・天候・虫害がリスク。それと後継ぎも・・・
職業・働き方にはそれぞれに特有の「リスク」はあります。
おおよそ事前にどういう「リスク」があるかを知り、それを許容できると思ったからそこに収まっているんですよね?
やってみて初めてその「リスク」を知った!なんて人はちょっと哀れすぎる・・・
楽しそうでストレス軽くても収入が低い
キツイし労働時間も長いけど収入は良い
生き甲斐を感じるけど世間の評価が低い
世の中に貢献する意義は何にも代え難い

気楽だけど稼げねぇし、とっとっとっと、危ねぇから
働く上で「これだけは譲れねぇ!というものがありますか?
稼ぎたいというのはまあ誰でも思っていますよね?
じゃぁいくら貰えれば稼げたと思うのか?という部分が曖昧な人多いです。
日本人ならキリの良い数字、50万とか100万とか言うんでしょう。
ここで問題なのは「いくら貰えれば」という他力本願部分。
「リスク」を不確実性と捉えるなら、50万なり100万なり稼げる可能性があればあとは自分次第。
稼ぎたければこういう環境の仕事を選ぶべき。辛いから、労働時間が長いからと文句垂れるなら稼ぎたいということを「譲れない」条件にするのはおかしい。

ガテン仕事はいつも危険と隣り合わせだけど稼げることも多い
雇用される立場となれば相手にお給料を決められるという「リスク」はついて回る。
そして労働者が多い職場ではどうしても人間関係や出世競争といった、ストレスから逃れられない。
それは職場や仕事の目的意識が薄れ、個々の欲望を満たそうという不穏な空気が充満してくるから。
日本人の多くが身を置くサラリーマンの世界では誰しも経験しているのでは?
自分の貢献度は誰かに勝手に決められているし、そこに不平等な査定が存在するのでは?という懐疑。
おかしい、嫌だと言いながら皆がサラリーマンになってしまう。
結局恐れている「リスク」なんて大したことないんでしょう。

昨日も残業、今日も残業、明日も残業・・・
もし「譲れない」条件が社会貢献というものであれば、真っ当に社会に役に立つ事業をしている環境に身を置くことである程度満たされるのではないか?
収入や仕事内容を超えたところに魅力を感じているのであれば、割と選択肢は多くなるかも。
ボランティア要素が高い仕事は収入も低く、志願する人も多くはなくギスギスした個人的欲望も低いと思われるので、高望みしなければ働き甲斐は得られそう。
ただし職場によって当たりハズレの「リスク」はあることは忘れずに。

収入より人命が大事という人がいるから私たちは安心して暮らせる
軽貨物運送業という個人で独立して働ける仕事は自由度は高いのですが、せっかく脱サラして始めたのにその自由度を活かせずに結局社畜のように相手の思うがままに働かされている人は数多い。
救いは自分が頑張れば収入をそこそこ得られることですが、運転仕事に共通する大きな「リスク」があります。
とにかく運転免許有りきの仕事ですから、道交法で罰則を食らえば減点・罰金というペナルティが痛い。
人身事故でもやろうものなら免停で仕事を失い賠償で人生も終わる。もちろん事故で自分の命を失うことも。
だけど何故かこういう「リスク」を軽んじて参入してくる者は多いが、体力やノルマについていけずに辞める者も多い。
何を夢見ていたんでしょうねぇ・・・

自転車やバイクの接触は本当に怖いです。
どんな仕事も良いも悪いも何かしらある。
悪い部分だけとらえて「こんなのダメだ」でもないし、良い部分だけ見て「これ最高!」でもない。
「リスク」は必ずあるもんだと覚悟して、それと付き合えなければ何をやっても上手くいかないし、「リスク」を何でもかんでも毛嫌いして避けてばかりいれば人生は先に進まない。迷宮入りです。
辛いのは当たり前、稼げないのは当たり前、そんなこといちいち気にしてたら何もできない。
危険に感じるリスクを良い意味でのリスクに変えるには?
ポジティブ思考と工夫体質への変換。
まずは自分を変えていかねば。
挑戦しなければ「リスク」も少ないと考え何もしないことが一番の「リスク」なんです。