仕組みを作った者が勝つ
日本では4月1日~3月31日を会計年度サイクルとしているのが一般的ですね。学校も同じ。暦上は1月1日~12月31日を1年と区切っているので、なぜこんなややこしいことをしているのか不思議に思ったことはありませんか?
実は昔は会計年度は1月始まりの12月締めと暦と一緒でとてもわかりやすかったそうです。
日本が現在の太陽暦(グレゴリオ暦)を採用したのが1875年(明治6年)。しかしその2年後には地租の納期に合わせるという理由から10年間ほど、国の会計サイクルが7月始まりの6月締めに変更になっていた時期があったそうな。
当時の日本は「富国強兵」のスローガンのもとに軍事力の強化をおこなっていて、軍事費が年々膨らんでいき明治17年には国家予算的に行き詰ってしまったのだと。そこで当時の第6代大蔵卿(明治14年~25年)松方正義(俳優さんじゃないよ~)が動き出すのですが、その本音というか理由が「自分が大蔵省のトップであるときに赤字はマズイ!」というもの。昔から上の方の人間は自分の体裁を第一に考えてしまうのですね。その流れは現代においても企業の不祥事に直結している。
明治17年の予算が赤字となることが確実となる情勢で、大蔵省の密室では予算操作が行われることになった。明治18年に予定されている歳入を明治17年に組み入れることで年度予算を赤字に見せないテクニックが使われたのですが、これは明治政府の常套手段だったらしい。国民に対して真実を見せない政府の情報操作は昔から普通に行われていたのですね。
しかしその場しのぎで切りぬけたと思った明治17年の赤字解消も、今度は明治18年が赤字となってしまった。まあ翌年度の歳入を先に使ってしまったのですから当然なのですが・・・
お小遣いを前借りして毎月ピンチを切り抜けているお父さん達にはとても耳の痛い話ですな(笑)
結局18年度の赤字予算も翌19年度の予算を繰り上げることによって何とか切り抜けることに成功したのですが、毎年同様の綱渡りのような誤魔化しを続けるわけにはいかないと考えた大蔵卿は、今度は明治18年の年度を3月31日終わりの年度サイクルに改定するという暫定措置・荒業を実行することになった。18年度を3か月短くすることによって予算を少なくみせることに成功。そして、それまでの会計年度(7月1日~6月31日)を明治19年以降は4月1日~3月31日に改定してしまった。それが現代に至って4月始まり3月末終わりの会計年度となっているのだと。一時の誤魔化しで明治政府の見た目の赤字予算を解消することに一応は成功したのですから、政治的手腕を評価するべきなのか否か・・・
年度の考え方は農業サイクルに合わせたという説もありますが、ともあれ会計年度の変更に合わせて、学校の入学式も明治19年から4月になったのだとさ。もし明治政府が普通に機能していたら、私たちの入学式は1月だった? それとも7月?
国家予算とはスケールが違いすぎますが、一般的な経営者も思考回路は似たようなもの。いかに周囲を自分のルールに落とし込んでいくか。そのシステムを機能させることが仕事となる。こうして創り上げたシステムに踊らされるのが国民であり会社員という構図は年貢の時代から変わっていない。ルールは好き勝手に変えられることがあり、それに従うしかないのが組織というもの。仕組みを作った者には富が集中し、そこにしがみつくしかない者は理不尽な働き方にも我慢していくしかない。そこを早くから理解して行動していった者は拘束される呪縛から逃げることができるし、拘束されることが当たり前と思って働いている者との差は大きく開いていく。
操る側になるか操られる側になるか。
成功者と呼ばれている人を見ていると、能力の差というよりも根本的な考え方の違いが突き抜けていける勝因になっているような気がいたします。
収入を生み出すシステムを考えるのと、どこに勤めようかと考えることの違い。収入を得るという目的は一緒だがコントロールする側とされる側に分かれてしまう。
働き方を考えていく上で収入に至るまでの仕組みをよく考える必要があるのでは?
そこがあやふやな者はブラックホールに吸い込まれていく・・・