貴方のメンターは誰?何?
人間、誰しも成長していく過程で参考にしたり相談したり刺激を受ける人っていますよね?
親、先生などは最も身近に接してきているので何らかの影響を受けて育っているはず。
塾の講師や部活の顧問、進路相談の先生やアルバイト先の先輩や店長、就職先の先輩や上司・・・
時には自分より年下の後輩や我が子でさえ何かを教わる対象になりえる。
未熟な自分を成長させてくれる優れた助言者・恩師とも言える対象を「メンター」と呼んだりする。
「メンター」というワードが一般的に広まったのは、映画「ハリー・ポッター」の影響もあったのでは?
作中、「ディメンター(吸魂鬼)」というキャラクターが登場する。
ディメンターとは何ぞや?とメンターから辿って調べた人もいたようで。
イギリスの魔法省に雇われて、アズカバン刑務所の看守をしていたのがディメンターです。
ディメンターは吸魂鬼とも呼ばれる通りアズカバンの囚人たちの幸せや希望を吸い取り、何もする気を起こさせなくして脱獄を防ぐ役割を任務としていました。
その後、ヴォルデモート卿の脅威が迫っているとしてホグワーツ魔法魔術学校がディメンターをホグワーツの警備につけたことで一連の騒動が起きていくことは皆様もご存じの通り。
単なる邪悪な怪物と思っていましたけど、彼らは悪意とは関係なく任務を遂行していただけとも言えます。
「メンター(mentor)」という言葉は割と知られていたので、「ディメンター」は「de+mentor」という造語だと思っていた人も少なくなかったのでは?
de は後に続く語に対して「下降・分離・悪化・低下・否定」の意味を持つ接頭辞の一つで、確かにメンターの意味を悪い方に解釈させる役割と捉えても不思議ではなさそう。
ちなみに接頭辞と言うのは、「re」とか「un」等、日常でも良く使われている単語は多いです。
「あ~、そういうことね」と納得です。
しかし「demento(発狂する)」という動詞から、「心を失わせるもの」「狂気をもたらす者」という行為者名詞に派生したという解釈の方がより直接的でしょうか。
でも何となく「メンター」と「ディメンター」って反意語でも通用しそう。
さて話がちょっと脱線しましたが、これまで皆様の人生の中で「メンター」と呼べる人は誰でしたか?
現在地に至るまで様々な人と出会い教えを乞い経験を積んできた中で、一番影響があった人をすぐに思い起こせますか?
その人との出会いがなければ絶対に今とは違う仕事・パートナー・人生を歩んでいたと言い切れる人。
そう考えるとホントに人生なんて紙一重なんですよね。
幼稚園が違えば、小・中学校が違えば、高校が違えば(この辺から人生への影響が大きくなっていく)、大学に行くのか即就職するのかでも違うし、就職先だって面接官のさじ加減一つで現在地には至っていなかった可能性もある。
振り返ってみれば改めて「メンター」の存在が自分の人生をいかに左右したのかがわかる。
誰の影響も受けずに「自分の力だけで今がある」なんて人、いないでしょう。
逆に言えば「メンター」はこちらから望んで接点を持つこともなかったはず。
運命というか偶然というか、誰だかわからなかった人と神様のお導きのごとく出会えたことで自分の人生が進みだす。
ただしそれが最善の結果になっていないこともあるでしょう。
それでは例え影響者であってももちろん「メンター」ではない。影響を受けたが恩師とは言えないのですから。
むしろ「ディメンター」の部類ですよねぇ。幸せや希望を吸い取られたも同然。
必ずしも直接出会うことだけが「メンター」の定義ではないのかも。
スポーツ選手なりタレントなり政治家なり、昔からテレビ・新聞等のメディア上でしか知らない人が自分に大きな影響を与えていることだって多い。
特に情報社会で知らなくてもいいような人まで(笑)知る機会だって増えてますから。
例えば私の場合だと、「メンター」の一人であると言えるのが ロバート・キヨサキ氏。
ご存じ世界的ベストセラー「金持ち父さん・貧乏父さん」の著者です。
まだ会社員時代、収入が頭打ちとなりドロドロに頭の中が澱んで惰性で生きていた時に出会った1冊の本が私の人生を大きく変えた。
とはいえ未だに大したことしてませんが(-_-;)、少なくても会社員であることに抱いていた疑問を一撃でクリアしてくれた。
会社員という狭い世界観。
キャッシュフロークワドラントの E S B I 。
お金に働かせることの意味。
この書籍との出会いは会社員から脱出した大きな要因です。
ロバート・キヨサキ氏とは会ったことも話したこともありませんが、この書籍に書かれている考え方は私の「メンター」の一つ。
この書籍に出会ってから起業家セミナーに参加し、数多くの起業家志向の方々や実業家と接点を持つ等自分が潜在的に抱いていた理想の働き方へ向けて精力的に動き回っていたことを思い出す。
その時に出会った人々の中には月収500万円超の20代の女性や、教師を辞めて年収が5倍超になった方など刺激になった人はたくさんいました。
会社員辞めたってもっと素敵な人生になることは確認できましたが、やはり直接自分の人生に影響したのは1冊の書籍。
まだ経済的に豊かにはなっていませんが時間的豊かさを手に入れつつある手応えは強く感じられるようになっている。
日常では意識していなくても様々なことに接しているはず。
その時はなんとなくやり過ごしていても多くは後から気付いたりする。
その場で気付こうとも後で気付こうとも、その接点をどう感じ活かすかでまた人生も変わっていく。
成功者って中身のある出会いには時間もお金も躊躇なく注ぎ込むんですよねぇ。
その濃く凝縮した時間や出会いがまた自分に大きなリターンをもたらすことを知っている。
既に成功者自身が「メンター」とも言える立場なのに更に貪欲に「メンター」との出会いを求め続ける。
つまり意識的に「メンター」と出会おうとしているし自分にとっての「メンター」がわかっている。
一方、凡人はそういう意識もなくただその時の快楽を求めて行動し迎合し散財する。
自分に何のリターンももたらさない時間と浪費を繰り返し、一向に前へ進んで行かない。
いつまでも同じムジナ同士でつるんでいても成長は難しい。
これまで「メンター」に出会えた人もまだ出会えていない人も、将来自分はどうなりたいのかがわかっていれば自分にとって必要な「メンター」というのは誰なのか何なのかがわかってくる。
その「メンター」と如何に出会うかを考えて行動すると、時間の使い方や効果的な人との出会いが変わってくる。
たまたまコロナ禍で無駄な飲み会や会合が激変したのですから自分を変えるチャンス!
なのにまたダラダラと生産性のない付き合いを復活しようとしているのはちょっと考えもの。
もちろん「成長も変化も必要ねぇ!」「今が楽しきゃそれでいい!」と言い張る人には「メンター」なんて必要ないのでしょうけれど。
情報社会にも功罪はある。「メンター」かも?と思えても実は他人を騙して養分にしている「ディメンター」が大勢紛れていたりする。
「ディメンター」を撃退する呪文も魔法もありませんが、せめて「メンター」を吸い寄せる時間の使い方や行動を心がけていきたいものですね。