ゆでガエルドライバーからの帰還は可能か?

今に騙されてはいけない。困難はすぐそこまで来ているぞ!
Amazonの荷物を担当する軽貨物宅配ドライバーによるストライキ問題はその後どうなったのだろうか?
本来なら同情を買いそうな一方的な契約打ち切りでしたが、蓋を開けてみれば世間はAmazonドライバーには冷ややかな反応でしたね。
まあ自分で選んだ個人事業主という働き方なのに、「何を甘ったれた事を言っているんだ?」と。
確かに請負契約時に曖昧な配達数の話をされたのだろうけれど、Amazonだろうが大手運送会社の荷物だろうがこれまでの宅配の働かされ方を見ていればどんどんドライバーの都合の悪い方に追い込まれていくのはわかっていただろうに。
そうなるのが嫌なのであれば請負契約時にしっかり書面で取り交わしなどしておかないと。
それが事業主としての最低限の契約スタイルでしょうに。
結局は相手のルールの下で働かされる典型的な弱者としての請負契約になってしまう。
そんな弱者をこれ以上増やさないためにも、今回はちょっと趣向を変えて軽貨物宅配ドライバーを当人目線の日記調で描いてみようと思う。
見た目はなんとか稼げているようで、心の中ではかなりな葛藤がある。
そしていつしか「ゆでガエル」として抜け出そうにも抜け出せなくなっている熱湯地獄の恐怖とは?

そんな契約見てない聞いてない。そして文句も言えないの?
「逃げ遅れた宅配ドライバーの悲哀と引退後の不安定な未来」
私は軽貨物宅配ドライバー。個人事業主として、この街の片隅で小さなビジネスを営んでいる。
毎朝、目覚ましアラーム音が脳内に鳴り響く。それは、私の仕事の始まりを告げる音だ。
しかし、その音は同時に、逃げ場のない現実をも突きつける。
愛車(軽の1BOX)は、私の事業の全てを詰め込んだ小さな箱。
その中には荷主や荷受人の期待と私の生活が詰まっている。
荷物は当初の話と違って日々増え続け、私の身体と心の負担も増すばかり。
私はゆでガエルのように、徐々に高まるプレッシャーとリスクに気づかず、毎日ただひたすらに車輪を回し続ける。
この仕事は、自由を謳歌するための選択だったはずだ。
しかし、今ではその自由が私を縛る鎖となっている。
配達の数は増える一方で、私の自由な時間はいつも足りない。
家族と過ごす時間は削られ、気付かぬうちに私の健康も犠牲になっていく。
辞めたいと思うこともある。
しかし、辞めることはできない。なぜなら私には周囲の心配を無視して独立したプライドがあり、家族を支えるためにはこの仕事が必要だからと思い込んでしまっている。

一時的な達成感は、やがてノルマという引き返せない罠に
私は、この街の人々にとってただの配達員に過ぎない。しかし、私にとってはそれが生活の全てだ。
私の愛車は私の夢と希望を運ぶ船。しかし、その船は時に不安という嵐に飲み込まれそうになる。
荷物を届けるたびに私は自分の存在を問い直す。
私は本当にこの仕事で良いのだろうか?私の努力は誰かのためになっているのだろうか?と。
私はこの仕事を通じて、多くの人々と出会い、多くの物語を知った。
それぞれの荷物には、それぞれの物語がある。
私はそれらの物語を大切にし、それが私の仕事への情熱を維持する源となっている。
最初はそう思っていた。そう信じていた。
しかしいつからか物語の数の多さと時間に追われ、惰性で動く歯車として感情を無くしていた。
このまま言われるがままに自由も無く働かされていれば、いつしか「ゆでガエル」になり捨てられるのだろうと思ったりもする。
それでも私は今日も、明日も、荷物を届け続けることしかできない。
「それが私の選んだ道だから」という勝手な呪縛に囚われながら・・・

中にいた方が安全か?それとも外に飛び出すべきか?
この仕事の厳しさは、日々の疲労だけではない。経済的な不安定さも私を苦しめる。
個人事業主としての自由は、不確実な収入という代償を伴う。
荷物が増えれば増えるほど、私の収入は増えるかもしれない。しかし、それは同時に私の時間と健康を奪っていく。
私は自分の大切なものと引き換えに、次の荷物を届けるために走り続けなければならない。
それを勝手に使命と履き違えていることに気付かずに。
愛車の中で、私は孤独と向き合う。
エンジンの音と荷物の重みが私の唯一の伴侶だ。
私はこの仕事を通じて、人々の喜びや感謝を感じることもある。
しかしそれは一時的なもので、次の瞬間にはまた新たな荷物が私を待っている。
私はこの繰り返しの中で、自分自身を見失いそうになる。
私はこの仕事に誇りを持っているし、この街の人々の生活を支えている。
と思わなければやっていられない。
私自身の生活は常に不安定で、逃げ遅れたゆでガエルのように熱くなる現実から逃れることができない。
このだんだん熱くなる閉じた世界観の中でしか自分自身を証明する術がない。外へ出ようという考えすら浮かばない。
それがゆでガエルの悲しい性。

しがみついていれば安全と思うなかれ。違う発想を持とう!
そして、心も身体もボロボロになるまで働き続け、もう他の仕事から声がかからないほどにくたびれ果てた引退後の生活は、さらに厳しい現実が待っている。
国民年金だけでは、生活を支えることは難しい。いや、無理だ!
この現実に気が付くのが年金を受給できる年齢になってからというのが人生最大の後悔となる。
長年積み上げてきた努力に見せかけた労力は、一体何だったのだろう?
年金の支給額は、老後の生活を支えるにはあまりにも少なすぎる。
老後の生活に対する危機感を抱えながら、それでも荷物を運ぶことを止めない。
それが正解なのだろうか?
個人事業主を選択したのだから老後は不安定な国民年金に頼るしかない。
それがゆでガエルに待っている残酷なラストストーリー。
家賃以下の年金でどう暮らしていけと?
そんな老後のために歯を食いしばって荷物を運び続けているのか?
日々当たり前のように配達数を増やされ、対応できなくなれば容赦なく契約を打ち切られる。
エンドレスに続いていく無理強いを受け入れるか?退却するか?
ここがゆでガエルから帰還できる最後のチャンス。
それでも宅配仕事をやりたいという強い意志があるのであれば、ゆでガエルにされる前に厳しい助言をお伝えしておきたい。

所詮、相手の掌の上で操られている働き方なんだぜ!
茹でガエルよ、目を覚ませ! その無力な現状を断ち切るために!
じわじわと迫る危機、そして自らの尊厳
意外に稼げるという思い込みから天職と勘違いし、じわじわと高まる熱さに気づかぬ
その姿は、
幻想に囚われた愚かな選択
ノルマという悪魔の罠にハマりノルマをクリアするのが唯一の生き方だと
しかし、それは幻想に過ぎない。
無言の絶望は、真の敵を隠す
声も上げず、ただ耐え続ける。それは、真の敵である過酷な労働環
長時間労働、低賃金、そして命の危険すら伴うこの仕事。明らかにビジネスモデルがおかしい。
そんな環
目を覚まし、声を上げろ!
このままでは、あなたは茹で上がってしまう。いや、もう茹で上が
自分を取り戻せ!熱湯から外へ出る勇気を持とう!

他人の決めたノルマのために生きているんじゃない!
真の強さは、環境に屈しないこと
過酷な労働環境に抗い、声を上げることは決して簡単ではない。し
未来を信じているなら相手の言いなりになることに抵抗しよう!
今こそ、行動を起こせ!
茹で上がってしまう前しかないのです。今すぐに行動を。
あなた自身の尊
宅配ドライバーへ告ぐ!
ゆでガエルから無事帰還せよ!