黒ナンバーのプライド、揺らぐアイデンティティ

プロ意識とは何だ?やつらと俺の生活水準が一緒だと?くそっ!

皆様はどういう「覚悟」を持って軽貨物運送業を始めました(これから始めようとしています)か?

かつて、配送用の軽自動車を用意して「黒ナンバー」を取り付けるということは、ある種の「覚悟」の証明でした。
私が会社員生活に見切りをつけ(言うほどにカッコいいものではなく、雇われる働き方に疲れた)、軽貨物運送業を始める決心をした時の心境は「これでもう雇用という安定を手放すのだな、戻れないのだな」「一から真っ白な気持ちで取り組もう」という覚悟がありました。

しかし今、以前よりもそのハードルは驚くほど低くなり、街には多種多様な黒ナンバーが溢れています。
これはフードデリバリーにも同じようなことが言えますが、YouTubeやSNS等で働き方や稼ぎ方が広く知られるようになったことが大きいと思います。
一見、年齢に関わらず何のスキルも無い人々にも門戸が開かれた良い変化のように見えますが、長年この道一本で家族を養ってきた人間からすれば、それは「プロの世界の崩壊」の序曲に聞こえてなりません。

今回は、参入障壁の低下がもたらした「本気度の希薄化」と、それがこの道で地道に経験を積み上げてきたベテランの誇りをいかに削り取っているかについて考えます。


黒ナンバーのプライド、揺らぐアイデンティティ

1. 「道具」へのこだわりが消えた街角

そんな車で仕事ができるのか?俺様と貴様の稼ぎの違いは何だ?

10年前、黒ナンバーを付ける車といえば、ダイハツのハイゼットやスズキのエブリイといった「積載性」を追求した商用バンが当たり前でした。
それらは決して乗り心地が良いわけではなく、ましてや高給でもない一般車と比べても格好良いものでもありません。
しかし、あの武骨な四角い箱は、私たちが「物流というインフラを支えるプロである」という静かな主張でもあったのです。

ところが2022年の法改正以降、乗用タイプの軽自動車でも事業用ナンバーが取得できるようになりました。
今や信号待ちで隣に並ぶのは、最新のワゴンRやタントの黒ナンバーだったりします。
昔から積載性重視で限られた車両で仕事をしてきた者からすれば、街乗りの主婦がよく運転しているような車の黒ナンバーは違和感しかありません。

「どんな軽自動車でも仕事ができる」

その利便性と引き換えに、私たちは何か大切な「一線」を失ってしまったのではないでしょうか。

2. 「片手間」という名の毒が業界を蝕む

誰かに操られる労働人生楽しいっすか?俺は俺の人生を操るっす!

参入障壁が下がったことで増えたのは、車だけではありません。
何かのついでに」「空いた時間に少しだけ」という、いわゆるギグワーク感覚のドライバーが急増しました。
以前は業務委託契約といえども、個人の軽貨物ドライバーは副業(兼業)を認めてもらえないことがほとんどでした。
ただ年々膨らむ物流の多さにドライバーの人手が足りなくなり、副業・兼業ドライバーの助けを借りなければ回らないほど業界は追い詰められていった挙句の苦渋の決断と言えましょう

もちろん、新しいライトな働き方を否定するつもりはありません。
しかし、軽貨物運送業という仕事は、本来「片手間」で務まるほど底の浅いものではないはずです。

  • 荷崩れさせない積み込みの技術
  • 受領印をもらう際の一言の添え方
  • 不在時の的確な判断と、次への配慮
  • そして何より、公共の道路を借りて商売をさせてもらっているという謙虚さと責任

これらは、日々の積み重ねと「これで食っていく」という退路を断った覚悟の中から生まれるものです。

「小遣い稼ぎ」で走るドライバーにとって、一軒の誤配やマナー違反は「運が悪かった」で済む話かもしれません。
しかし、その積み重ねが業界全体の信頼を失墜させ、結果として「軽貨物なんて誰でもできる仕事」という低評価を定着させてしまうのです。

3. 特異性の喪失と「買い叩かれる」プロの技術

安全・確実より速さと量っす!ダメでも全部置き配してやるっす!

かつて軽貨物ドライバーは、単なる「運び屋」ではなく、それぞれの地域に根ざした「物流の職人」でした。
荷主とも「〇〇さんなら安心だ」という、顔の見える信頼関係で結ばれていました。

しかし、プラットフォーム化が進み、誰でも簡単に参入できるようになると、そこに介在するのは「信頼」ではなく「安さ」と「数」だけの冷徹な論理です。

「プロの技術」と「素人の片手間」が同じ土俵で、同じ単価で競わされる。

本気で取り組んでいる人間が、適当に走る人間に価格競争で負けていく。
この不条理こそが、今のベテランたちが抱える「やるせなさ」の正体です。

「俺たちの15年は、スマホ一台で始めた若者の数日間と同じ価値しかないのか?」

配送センターの隅で、そんな独り言を漏らすベテランの背中が、今の業界の歪みを象徴しています。

4. 「本気度の低下」が落とす暗い影

真面目一筋にやってそんな待遇なら、片手間に効率よく立ち回るさ

仕事に対する本気度の低下は、巡り巡って「労働条件のさらなる悪化」というブーメランになって私たちに返ってきます。
副業や片手間で良いと考える者にとっては、高単価や絶対的な高報酬よりも空いた時間でキツくなくできることが重要。
そこには「隙間仕事ごときで責任感を追わされるのはイヤだ」という現代気質が見え隠れする。
本業にしたいと思えるほどの収入でもないし、ブラック労働に完全に染まることを敬遠するのは当然か。

「この単価じゃ生活できない」と声を上げても、運営側や荷主側には「代わりはいくらでもいる(片手間でやりたい人はごまんといる)」という計算があります。
待遇が改善しないことで人手不足が進行していることを、荷主や経営者はどこまで理解しているのだろうか?
本気で食っていこうとする人間が団結しようにも、入り口が広すぎてプロ意識の低い層が次々と流入し、結果として全体の底上げが阻害される。

このまま「特殊性」が失われ、軽貨物運送が単なる「誰でもできる単純作業」に成り下がってしまったとき、この業界に未来はあるのでしょうか。
中高年のドライバーが、文字通り心身を削ってまで守る価値のある職と言えるのでしょうか

5. 揺らぐアイデンティティ:私は「何者」か

あの時の自由と希望がなぜこんな働かせ放題の奴隷労働になった?

私たちは、ただ荷物をAからBへ運んでいるだけではありません。
荷主の「想い」を預かり、受取人の「期待」に応える。その間に立つ、物流の最後の砦だったはずです。
しかし、法改正や制度の変化によって「プロとアマの境界線」が曖昧になった今、自分自身のアイデンティティが激しく揺さぶられています。

「一国一城の主」という言葉が、かつての輝きを失い、単に「責任を一人で負わされる孤独な労働者」という意味に聞こえ始めています。


黒ナンバーの車内。
ダッシュボードに置かれた伝票の山を見つめながら、ふと思う。

「俺が本当にやりたかったのは、こんな、使い捨てのパーツのような仕事だっただろうか?」

かつて誇りを持って握っていたハンドルが、今はひどく冷たく、他人の持ち物のように感じられる瞬間。
それが、多くのベテランが「廃業」の二文字を現実味を持って描き始める瞬間なのです。

私は年齢・体力・健康の問題で63歳で引退・廃業をいたしました。
負け惜しみではなく、ズルズル続けずに廃業して良かったと思っています。

インボイス・法規制の強化・ガソリン高騰・・・
運良くこれらの開業時には無かった自営業への重荷を回避できた。
もはや開業時と労働の背景が変わりすぎている。
開業時の自分は、今もそのまま存在しているだろうか?

普通に働ければよいだけの者には時代が悪すぎる。

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