正解は自分で見つける時代

誰にとっても正解でなくても良い。貴方にとっての正解とは?

最近のニュースにはウンザリさせられますね。
岸田首相や自民党の支持率低下、政治家の不祥事、中東の紛争、物流の2024年問題、バス路線の廃止、中小企業の倒産・廃業の増加、増税、物価高騰・・・
たまたま各種問題が今年に集中したと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、全ては過去からの産物であり解決を先送り・放置してきた結果。
どこかで改善・修復はできたのではなかろうか?

国内の経済的な不調は首相・政府・政治家によるところが大きい。
もし今の首相が岸田さんでなければどうなっていたか?
自民党の勢力がもっと小さければどうなっていたか?
内閣の人事の顔ぶれが全く違っていたらどうなっていたか?

その大元を辿れば選挙における国民の姿勢で変えることができていた部分が多い。
腐った政党、腐った政治家、腐った首相を生み出してしまったのも国民と言えるし、政治の暴走を許しているのも大人しすぎる国民気質が背景にあると言えなくもない。
現に「どうせ国民が反対したって何もできやしない」と政治家はやりたい放題。せいぜい小規模デモをするぐらい。
海外なら大暴動が起きていてもおかしくないぐらい国民の存在は軽んじられている。

いやぁ、政治家だって人間ですから過ちの一つや二つは・・・

不適材不適所にもほどがある!

もはや世紀末とも言える内閣人事の適当さ。
山田太郎文部科学兼復興政務官の不倫問題、柿沢未途法務副大臣の公職選挙法違反容疑、神田憲次財務副大臣の度重なる税金滞納。
文部科学兼復興政務官が不倫?
法務
副大臣が公職選挙法違反?
財務副大臣が4回も税金滞納?

それぞれの過ちがこともあろうに自分が目を光らせるべき範疇ではないか。
自動車教習所の教官が交通違反を意図的にしているようなもんですぜ!

隠ぺいも叶わず立て続きに問題がバレ、立て続きに辞任に追い込まれた。しかし議員は辞めないのだと。
首相がいくら「任命責任を重く感じている」「国民におわび申し上げる」と言っても、例によって具体的な行動は無し。
ほとぼりが冷めれば禊は済んだと勝手に解釈するだろう。

他国の紛争なんかは到底私たちがどうこうできるものではありませんが、国内の問題についてはもう少し国民が何とかできる余地があるように感じます。
選挙なんかは最も国民の力を活用できていない手段の一つでしょう。

貴方はポジティブ・ネガティブ、どちらのタイプですか?

行政レベルでは「リコール」なんかもありますし、インボイス問題で話題になった「署名活動」なども効果としては「?」な部分がありますが、個が束になって意思表示する手段としてマスコミを上手く使えば一大ウエーブを巻き起こすことも可能。
今は増税や物価高、社会保険料負担増について個々が文句を言っている状態だが、これをいかに大きな波にまとめ上げられるかで政治を変えることができる可能性はある。

国相手というとちょっとスケールが大きくなり過ぎるかもしれませんが、業界や企業を相手にするとだいぶ現実的になってくる。
物流の2024年問題なんて5年前から「何がどうなる」というのがわかっていたのに、問題の先送りと業界の体質を改めようとしなかったばっかりに直前になって大騒ぎしている滑稽さ。
そこで考えなければいけないことは、沈み出した船(本業)に最後まですがりついて運命を他人に預けるしかないのか、しっかり自分にとっての正解を導き出して早めの行動を取れるかどうか。

あちこちで船が沈み出している状況では近くの船に乗り移ることができたとしても、結局は沈んでいく可能性が非常に高い。
もし「船」に拘ることを止めれば一旦陸地(他業種)に上がることもできる。
他者より早く危険を察知できれば救命ボートもあるでしょうし避難する手段は残されているでしょう。

船以外の生活なんて考えたこともないわ!という人も命あってのものです。
陸地でやり直すことができないなら船と運命を共に朽ち果てるのも同じこと。
もっと自分の可能性を信じて食わず嫌いから脱出して欲しい。
実際船に乗り続けている人だって悲壮感溢れる文句が山のように積みあがっているし。

正解に辿り着くまでの考え方は最短コース?遠回りコース?

行動が遅れてしまう原因

行動が遅れてしまう原因は正解に自信がなく「躊躇」すること。
自分にとっての正解がわからずにとりあえず現状を続けることを選択する人は多い。
まあ行く当てが無いなら生活を維持するために現状を選択するのも頷ける。
しかしその延長に2024年問題や深刻な人手不足・業種の衰退が見えているなら・・・
冒頭に述べた問題の先送りにしかならず、その顛末が私たちが直面している問題に繋がっているということに合点がいくでしょう。

ずるずると問題を引きずっている間にも何かしらできることはあるのですが、それらをおざなりにすることでいつしか後戻りもできない状況に追い込まれてしまう。
業界や企業、経営者や上司・同僚の意見や行動に心を揺さぶられても、最後は自分の決断が全てを決める。
正解は自分の中にだけあると信じれば、躊躇する部分は削れるでしょう。

ただ自分の中にある「正解」が本当に正解かどうかが確信できないからどうしても決断が揺らぐ。
「自己責任」という4文字のプレッシャーに負け、どうしても無難な方、楽な方に流れるのが人間の弱さ。
周囲から無謀と思われても自分の正解を信じて成功の座を掴み取った方々には本当に頭が下がります。
一般的には正解に思えなかったものを強引に正解にしてしまうような「やるか」「やられるか」の覚悟で生きている人の強さは学ぶべきところがありますね。

引き出しの多い人は楽しめるが引き出しの少ない人は苦労する

税金や物価高についての私達の「正解」とは何だろう?
一般市民にはどうしても消極的対抗策しか取れそうもない。
いかに払わずに済ませるか?いかにモノを買わずに済ませるか?

確かに買わない・払わないというやり方は誰でも思いつくし、節税策も無いことは無い。
しかし本当は単に勉強不足なことが自分を苦しめているケースが結構多いのではなかろうか?。
正解に辿り着けずイライラを撒き散らすのは簡単。しかしその繰り返しではいつまで経っても正解には辿り着かない。

正解に近づきたければ自分の引き出しを多く持ち臨機応変に使えるようにしておくこと。
すぐに壁にぶち当たるのは当たり前として、壁を回避できる方法をいくつも持っておくと心に余裕が生まれる。
アドバイスする側になればそこにビジネスチャンスも生まれるし。
自分を八方塞がりの状態にしていてはいけない。

戦いながら正解を探していく面白さはAIの台頭で魅力倍増!

好例が将棋の藤井聡太八冠(2023年11月中旬現在)。
引き出しを多数持ち、どんな相手の奇襲にも動ぜずどんな展開になってもキッチリ正解を導き出せる能力は本当に素晴らしい。
対局前には「これが正解」なんていうものはない。相手との目まぐるしい変化の中で自分にとっての正解を探っていくことは、社会における変化の中でも常に自分の正解を探ることに相通ずる部分が非常に多いと思いませんか?

子供に囲碁や将棋をやらせたいという親が増えているのも頷ける。
正解の無い局面から何が正解かを導き出す力 = 生きる力 を養う身近な道具としては安易に手に入る。
またAIの進化により過去の定石だったものが覆される面白さも現代っ子にはハマるのだろう。
自分が抜け出せなかった正解を探し続ける人生を子供には味合わせたくないよなぁ。

途中までは何が正解かはプロでもわからない奥の深さがある

自分に非が無くても降りかかる災難の中で、いかに正解を見つけていくか。
国も政治も当てにならない。
自分の身は自分で守るしかなさそうです・・・

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