手にした金色の意味

車に乗らない今、ゴールド免許になったって使い道がない?

先日更新した運転免許証の受け取りに行ってきました。
運転仕事引退してから、まさに今更ながらゴールド免許復活ですw
現役ドライバー時代の15年間はずっと青。プロとして恥ずかしい限りでしたな。

更新手続きと交付受け取りとわざわざ管轄の警察署まで電車・バスを乗り継いで2回も行ってきたことになりますが、まぁこのクソ暑い中、更新関連窓口には高齢者ばかりが群がっていました。 私もその一人ですが(-_-;)
パッと見、半数以上が70代以上に思えました。まぁ平日の昼間に免許証だけ受取りにくるような自由人は仕事してない高齢者がほとんどだから仕方がないが、それでも割と交通網は発達している横浜で、70過ぎても運転免許更新する必要がある人の多さに驚きます。
タクシーの運転手にはまだまだ70代現役の人はいますけどねぇ。

しかし受付でのやりとりを見ていると、「必要書類忘れた」「(交付された免許と交換する)古い免許証忘れた」などの高齢者特有の物忘れをする方が多くいらっしゃり、これが混雑を加速させている。
こういう方々が公道で普通に走っているのだから怖いよねぇ。
「標識の意味忘れた」「アクセルとブレーキを踏み間違えた」「逆走していると思わなかった」なんて事故、年々増えてますもんねぇ。

そこで今回は高齢者がゴールド免許を持つ意味、返納せず更新を続ける意味について、AIの協力を得ながらストーリー仕立てにしてみました。
主人公は私、つまり積荷オヤジを参考にしています。
還暦以降の運転免許の在り方について参考になれば幸いです。

プロローグ:返り咲いた金色

平日昼間が混雑するほど高齢者の運転免許更新が多い(怖)

警察署の窓口で手渡された真新しい運転免許証は、少しだけ誇らしげな重みを持っていた。
中央の帯に輝く「優良」の二文字と、背景の金色。
65歳の誕生日を過ぎたばかりの俺、高橋良平の顔写真は、長年の癖で少しだけ右に傾いている。

「おめでとうございます、ゴールド免許ですね。これからも安全運転でお願いします」

事務的な若い警察官の言葉に、俺は「もう運転はしないんですけどね」と心の中で呟きながら、曖昧に頭を下げた。

15年ほど軽貨物のハンドルを握ってきた。
雨の日も風の日も、真夏のアスファルトが陽炎のように揺れる日も、凍てつく冬の早朝も、俺と相棒の軽バンは黙々と走り続けた。
荷物を待つ人の元へ、時間を守り、荷物を守り、そして何より無事故を貫く・・・
つもりだったが、実際は事故も起こしたし違反もした。
だからプロとしての仕事でありながらずっとゴールド免許ではなかった。

「次の更新では、必ず金色に返り咲く」

その誓いを胸に、最後の5年間は一層気を引き締めてハンドルを握った。
そして体力の限界を感じ健康不安を覚え軽貨物ドライバーとしての人生に幕を下ろしたのが昨年。
同時に自家用車兼用だった愛車も処分した。

つまりこのピカピカのゴールド免許は、俺がハンドルを握る機会がなくなった後の、いわば「引退記念品」のようなもの。
高齢者特有の事故を起こさなかった安堵感と、ゴールド免許の活躍場の無い一抹の寂しさ。
俺は複雑な思いを抱えながら、免許証を財布の奥にしまい込んだ。

第一章:宝の持ち腐れか、それとも御守りか

使わないゴールド免許は果たして更新を続けるべきか?

「あら、本当に金色になったのね!おめでとう」

家に帰ると、妻の聡子が嬉しそうに免許証を覗き込んだ。

「あなた、最後の最後まで頑張ったものね。本当に、お疲れ様でした」

その労いの言葉は素直に嬉しかった。だが、聡子はすぐに現実的な言葉を口にする。

「でも、もう運転しないのに、これを持っているメリットって何かあるのかしら?更新料だって、安くはなかったでしょう?」

聡子の言う通りだった。
更新手数料や写真撮影。それに警察署まで足を運ぶ時間と労力と交通費。
なんだかんだで5千円ほどかかっている。
5年後、70歳での更新では、さらに費用と手間がかかるだろう。
運転する機会がない者にとって、これは純粋な「維持費」であり、デメリット以外の何物でもない。

「まあ、一番は身分証明書代わりになることだな。公的な証明書で顔写真付きなんて、これかマイナンバーカード、パスポートくらいしかない。一番手軽で、信頼度も高いからな」

俺がそう言うと、聡子は「それは確かにそうね」と頷いた。
スマホのプラン変更、役所の手続き、金融機関での本人確認。
日常生活のあらゆる場面で、運転免許証の提示を求められる。
これがなければ、いちいち住民票の写しや保険証など複数の書類を持ち歩かねばならず不便極まりない。

見た事ないという人がけっこういる。ということは使えない?

「それに、ほら。こういうのもあるらしいぞ」

俺はスマホで調べた情報を見せた。
無事故・無違反のドライバーがもらえる「SD(セーフドライバー)カード」。
これを提示すれば、全国の優遇店でガソリン代や食事代、宿泊費などの割引が受けられるという。

「へえ、運転しなくても使えるお店があるのね。じゃあ、今度のお出かけで使ってみましょうか」

聡子は少し楽しそうだ。
確かに、レンタカーやカーシェアの割引のように「運転すること」が前提のメリットと違い、これなら俺たちにも恩恵がある。
だが、それも更新費用を補って余りあるほどのメリットとは言えないだろう。

結局のところ運転しない人間がゴールド免許を持つ最大のメリットは、「信頼性の高い身分証明書が、5年間という長い有効期間で手に入ること」と、「SDカードによる僅かな割引」くらいのものか。
そのために数千円の費用を払い続けることが、果たして賢明な選択なのだろうか?

俺は財布の中のゴールド免許が、まるで「宝の持ち腐れ」のように思えてきた。
いや、むしろ、これからの人生を穏やかに過ごすための「御守り」と考えるべきなのだろうか。
答えはすぐには出なかった。

第二章:友との対話、社会の視線

免許が有れば高齢者だって行動を走る職の可能性はあるからなぁ

数日後、俺は軽ドライバー時代の仲間である木村と駅前の喫茶店で会っていた。
木村も同い年だが自営業を続けており、今も仕事で毎日車に乗っている。

「高橋、ゴールドに返り咲いたんだってな。大したもんだ。俺なんて、もう何年も青のままだよ」

コーヒーをすすりながら、木村は羨ましそうに言った。だが、その表情はすぐに曇る。

「正直、最近は運転が怖いんだ。この間も、スーパーの駐車場でバックしようとしたら、アクセルとブレーキを踏み間違えそうになってな。寸前で気づいて事なきを得たが、冷や汗が出たよ」

木村の言葉に、俺は自分の引退が正しかったことを改めて感じた。
プロとして走り続けてきた俺だからこそ、運転に必要な能力が加齢と共に確実に衰えていくことを、誰よりも敏感に感じ取っていた。
動体視力の低下、とっさの判断の遅れ、長時間運転による集中力の低下。それらは、どんなベテランであっても抗えない現実だ。

「分かるよ。俺も最後の頃は、雨の夜の運転が特に億劫になった。対向車のライトが滲んで、車線が見えにくくなるんだ」
「そうそう!それだよ!若い頃はなんてことなかったのにな」

世間では、高齢ドライバーによる痛ましい事故のニュースが後を絶たない。
そのたびに、俺たちは自分たちの問題として胸を痛めてきた。
もちろん、高齢者だからといって、誰もが危険なわけではない。
長年無事故を貫いているドライバーも大勢いる。

しかし、統計が示す現実は厳しい。
認知機能や身体能力の低下が事故に直結する確率は、年齢と共に悲しいほど上昇していく。
だからこそ、「高齢者は免許を返納すべきだ」という社会の視線が年々強まっていることも肌で感じていた。

ワシはいたって健康。悪くない。車が悪いんじゃ!

「でもな、高橋。お前みたいにスッパリ車を処分できる人間ばかりじゃないんだ。俺の住んでいるあたりは坂道だらけで、最寄りのスーパーまで歩いて30分かかる。妻も膝が悪いし、車がなかったら買い物も病院もままならない。まさに生活の足なんだよ」

木村は切々と語った。
これが、多くの高齢者が免許を手放せない最大の理由だろう。車は、単なる移動手段ではない。
それは行動範囲を広げ、社会との繋がりを保ち、自立した生活を維持するための「生命線」なのだ。
免許を返納することは、その生命線を自ら断ち切ることに等しいと感じる人も少なくない。

免許(車)を持つメリット:

  • 生活の維持: 買い物や通院など、日々の暮らしに不可欠。
  • 自立と尊厳: 他人の助けを借りずに、自分の意志で行動できる。
  • 社会参加: 趣味の集まりや友人との交流など、QOL(生活の質)を保つ。

免許(車)を持つデメリット:

  • 事故リスクの増大: 加齢による心身機能の低下。
  • 周囲への不安: 家族や近隣住民に心配をかける。
  • 経済的・精神的負担: 更新費用、そして万が一事故を起こした際の計り知れない代償。

俺たちはメリットとデメリットが複雑に絡み合った、この巨大な社会問題の当事者として、ただ黙ってコーヒーカップを見つめていた。
俺は幸運にも、車を手放せる環境にあった。
だが、もしそうでなかったら?
俺は木村と同じように一抹の不安を抱えながら、今日もハンドルを握っていたかもしれない。

最終章:卒業証書としての金色

運転というリスクから解放された清々しさは確かにある

木村と別れて家路につく道すがら、俺は再び財布から免許証を取り出して眺めた。
金色の帯が、夕暮れの光を浴びて鈍く輝いている。

その時、俺はふと気づいた。
このゴールド免許は、俺にとって単なる「運転許可証」や「身分証明書」ではないのだと。

これは、40年以上にわたる免許所持人生を無事に走り終えたことの証明書。
いわば、「卒業証書」であり、俺自身の誇りの証なのだ。
最後の5年間、この金色を取り戻すために細心の注意を払ってきた日々は、まさに俺のドライバー人生の集大成だった。

そして、もう一つ。
この免許は、俺が「責任を持ってハンドルを置く」という決断を下した証でもある。
自分の能力の限界を自覚し、加害者になる可能性から自ら遠ざかる。
それは安全運転を信条としてきたプロとしての、最後の責任の果たし方だったのかもしれない。

そう考えると更新にかかった費用も、決して無駄ではなかったように思えてくる。
これは、俺の人生の一つの区切りに対する、ささやかな儀式のようなものだったのだ。

家に帰り着くと、聡子が庭の花に水をやっていた。

「おかえりなさい。木村さんと会ってきたの?」
「ああ。あいつも、いろいろ大変そうだ」

俺は、聡子と一緒に縁側に腰掛けた。
車を処分してからというもの、こうして二人でゆっくりと過ごす時間が増えた。
以前は、休日に出かけるとなれば必ず車だったが、今はバスと電車を乗り継いで、のんびりと車窓の景色を楽しむ。
歩く速度でしか見えない街角の小さな発見に、心を躍らせることも覚えた。

積荷オヤジという人生の集大成がゴールドに輝いている?

5年後、70歳になった時、俺はこの免許を更新するだろうか。
それとも、役所に出向いて自主返納し、「運転経歴証明書」という新しい身分証明書を手にしているだろうか。
それは、その時の俺の心と体が決めることだ。今はまだ、分からない。

ただ一つ確かなことは、この手の中にあるゴールド免許が、過去の栄光を証明するだけの無用の長物ではないということだ。
それは俺が真摯に生きてきた証であり、これからの人生をどう生きるべきかを問いかけてくる、静かな道しるべなのだ。

ハンドルを置いた俺の人生は、まだ始まったばかり。
金色の卒業証書を財布にしまい、俺はゆっくりと立ち上がった。夕暮れの空が、穏やかな茜色に染まっていた。

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