平成の思い出

いよいよ平成の時代も本日限り。大型連休の真っただ中での元号移行ということでカウントダウンも様々な場所で迎えるのではないでしょうか。

まあ平成の時と違って明るく前向きに元号移行を迎えられるのは良いですね。何か新年を迎える時のように日常をリフレッシュしたい思いもあるのでしょう。

 

今週はゴールデンウィークということもあって元号絡みの商戦も活発です。「さよなら平成セール」「ありがとう平成セール」「祝!令和キャンペーン」等、休みも取らずサービスを提供してくださっている方々のおかげで連休を楽しめていることも忘れてはなりませんね。

 

今回の大型連休における私の立場は、休む側と働く側の半分半分という感じ。
本業は11連休ですが複業はとっかえひっかえの11連戦。半休が11日続くみたいなもの。
これなら半分フルに働いて半分完全に休んだ方がいいんじゃね?と思う方もいるでしょうね。
まあ私はどちらでも実質的に収入はさほど変わらないので、休んでいる時に何するかでどちらの過ごし方にメリットを感じるかになります。

先日も書きましたけど私は強制起床が大嫌いなので、朝ゆっくり起きれる半休11日の方が嬉しいと感じています。例え休みなく仕事日が続くとしてもストレスは感じませんね。昨日は本業無くても半日複業をハシゴして収入は2万円ほどになりました。このぐらい緩い生活がお爺ちゃんには合っている(笑)

 

振り返れば平成も30年ほど続いたんですよねぇ。個人的にはその間に結婚して子供も授かり転職もしたし独立もした。これだけ変化があったにも関わらず、私の中の印象は昭和の時代の方が強く残っています。たぶんその理由の一つは学生時代の同級生と未だに強い結びつきがあり、独身の頃から続いているテニスサークルの面々との結びつきもそうですけど、昭和の時代に生まれた人間関係のインパクトが強烈であったこと。これが私が昭和が良き時代だったと思える最大の要因であり平成より印象深い理由だと思います。

平成の時代は確かに大きな変化が自身に起こりましたけど、転職や独立によって人間関係が落ち着かなかったという部分は否定できません。平成になって「人」の部分での関係が希薄になったことが自分の中での印象を弱めているのだと思います。
あっ、結婚や子供は別ですよ。関係が希薄ということはない・・・と思う(^_^;)

 

昭和の時代は社会も自分も成長期でした。学生時代~新社会人の頃はコンビニもケータイもパソコンもない今では想像もできないアナログな社会でしたが、収入もスキルも右肩上がりで別に不便とか忙しさに強い不満を持つとか無かったわけですから、便利なツールが巷に溢れ情報が簡単に入手でき便利になっているはずの平成後期にあまり印象が残っていないというのも不思議と言えば不思議。たぶん私が広告代理店を退社するタイミングがちょうどパソコンが個人所有にも普及しだし(それでも媒体はフロッピーディスクが主でしたが^^;)ケータイも仕事用では普及し始めた頃で、バリバリ活用する機会を逃したことも影響してますね。もし広告代理店に残っていたら絶対にデジもの系や情報ツールは使いこなしていたはずで、平成の印象も大きく変わっていたと思います。

転職後は不動産関係~軽運送業と、まあどちらかというとアナログ的でデジタルスキルがなくても勤まる仕事をしているのも情報化社会から取り残されだした原因ですな。まだドライバー職の中では年齢的なものも含めて健闘している方だと思いますよ。ブログネタ考えるだけでも面倒なのにそれを10年続けてるのはどこかおかしいのか?それとも執筆仕事に素質があるのか?(笑)

 

軽運送業をアナログ的と言いましたけど、YouTubeという画期的なものが出て来て最近では軽ドライバーさんも非常に有益な動画を発信していらっしゃいます。ドライバーの仕事の取り方も「求人➡元請けと契約」という一般的だったものから、ウーバーやアマゾンとの直接契約という中間搾取排除の方向に流れつつある。仕事は自分で好きな時に好きなだけやるというのが軽ドライバーのこれからの働き方という時代になりつつあることを感じます。

ドライバーの仕事というのはありきたりの働き方をしてしまうと長時間低賃金重労働になりがちですが、そこそこ働きやすい環境・仕事もあるのです。そういう部分を見つけていくことも独立する上での仕事の一つなのですが、そこを疎かにして悪い噂を鵜呑みにしてダメな仕事と烙印を押してしまうのも勿体無い話です。

 

令和の時代、平成以上に世の中のサイクルが速くなりついていける人といけない人の格差が広がっていくと思われます。背伸びしてスキルが釣り合わない仕事にしがみついている人は危ない。かと言って適応して安泰な立場と思っている職場が安心できるわけでもない。
平成で感じた部分をよく噛み締めて、新しい時代への糧としたい。

どこに勤める というより どう働く か。

いや、「勤める」とか「働く」とかいう考えがもう古くなる時代かも知れません。
新しい価値観を自分で創っていかないと生き残れない時代になるのでしょうか?

「令和」という柔和な響きとは裏腹な、厳しい時代が口を開けて私たちを待ち構えている。

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