欲しいモノより必要なモノ
今日は参議院選挙の投票日。
昨日までの選挙カーや駅前等の街頭演説はコロナ前に比べると少々控えめに感じますが、やはり候補者の名前連呼を聞くとウンザリしちゃいますね。
選挙ポスターも年々加工技術の向上か人間離れしたような皮膚感と、いかにもわざとらしい笑顔。
どうしても偽善の臭いがプンプン漂ってくる(笑)
政治に何を期待しているかは人それぞれ。
しかし年々その想いも儚い夢であることが皆が薄々気付き出した。
選挙用の公約は実行されないのが当たり前、選挙後はあれだけ目にした耳にした候補者の行方はどこへ?
落選した方はともかく当選した方は関係者への挨拶回りで忙しいのでしょう。
でも一番の関係者と言えば有権者のはず。
もちろん裏方さんや後援会の方々も大事ですが、選挙後に有権者に向けてしっかりメッセージを伝えてこない当選者って、当選してしまえば仕事は終わりと思っているのか?
人間は欲の塊。
政治家は最初の頃は「政治を良くする」「人々の暮らしを豊かにする」等の高い志があったはずなのですが、いつのまにか「次の選挙に勝つ」ということが自分の第一政治活動になっている人っていますよね。
もちろん「政治を良くする」志を実現するには自分が政治家であることが必要。
しかし大義が疎かになり当選を続けるための活動が主になってしまえば本末転倒、そんな心の隙に利権という甘い蜜が塗られていく・・・
心の中が透けて見えるような政治家独特の人相みたいな裏がありそうな顔の人、多くないですか?
政治信念より自分の欲にギラギラし出すと人相も変わってくるのであろうか?
中には笑顔と強面を使い分ける人もいるので要注意ですが。
さて、政治家ばかり題材にしていても仕方がない。
誰にでも欲はあり、欲の誘惑に勝つには相当なメンタルの強さが求められる。
もし自分が何かの役職やポジションに就いた時、その居心地が良かったり自己顕示欲や承認欲求を満たすものであったら、その座を手放すまいとした行動を無意識に取るかもしれませんよね。
会社員であれば出世のレールに乗るために上司に愛想を振りまき、ライバルの足を引っ張ろうと水面下で醜い争いが起きることはよくある。
TVドラマでも手っ取り早く労働者感情に訴求できる身近な題材として、よく使われるストーリーですな。
大抵そういうストーリーのドラマでは憎ったらしい表情のできるタレントや俳優が使われます。
実際にそういう経験が無くても表情を使い分けられる俳優さんは凄いなぁと思います。
その憎ったらしい表情の印象が強いほどドラマの視聴率も良いのだとか。
やはり視聴者の生活の中にどこかダブるものがあると、登場人物と自分を重ねて惹き込まれていくのでしょう。
他人に不快感を与えてまで手に入れたいものってありますか?
まあ家庭内ではたくさんありそうですよね。
奥さんには必要のないモノだが、ダンナにはどうしても欲しいモノ。
その逆もありますね。
一応どこかにギリギリ我慢できるラインがあって、何とかそこで理性は保たれている。
しかしそのラインを突破してしまうと紛争が起きる。
ロシアとウクライナみたいに一方的な欲求を満たそうとすると、片方にとっては迷惑どころの騒ぎでは無くなってしまう。
家庭内では「趣味」の部分での揉め事が多いような。
特にダンナのバイクや車、奥さんのブランド品志向とか。
やはりそこそこ高い買い物となると相手の監視も厳しくなっていく。
共働きで全く生活に困っていないならともかく、自分の小遣いレベルを超えるような出費となると第三者の目から見ても問題に映るケースは少なくない。
もっとも相手が何を買おうがいくら使おうが無関心でいられる関係は、生活に影響が無くてもそもそも単に相手に無関心なだけで人間関係が破綻しているとも思えるのだが(^^;)
自分が手に入れたいのは、「本当に必要なモノなのか?」「単に欲しいモノなのか?」。
冷静にここの線引きができれば、余計な出費は減らせるのではなかろうか?
相手に対しても「必要性」をしっかり伝えられれば紛争には至らないと思うのだが。
まあ単に欲しいモノであっても涙ぐましい地道な根回しをされている人もいるでしょうし、やはり短い人生なのに欲しいモノを我慢するのって、ずっと後悔を引きずってしまいそうですよね。
自分の小遣いの中で納まるなら落としどころはあるのですが、相手にとって価値の無いものにお金を使うことは一つ屋根の下に暮らす運命共同体としてはやはりスッキリしない。
ましてやボーナスが減った、残業代が無くなった、なんてマイナス要素のあるタイミングでは、少しでも相手をリスペクトしているなら我慢することが最良の策ではなかろうか?
欲しいモノを100個書いてみよ!
と問われれば割とスラスラと書き出していくことができるのではないでしょうか?
「車」「家」といった万人に定番のモノから「愛人」「権力」のような個々に特有な事情のモノ(?)まで、誰に忖度することなく自由に書き出せるでしょう。
愛人や権力って願望と表現したほうが適切かも(笑)
では必要なモノを100個書いてみよ!
という問いには今度は時々ペンが止まるのではないでしょうか?
一部欲しいモノと被るのは仕方がありませんが、ここでスラスラ出てこないということは「必要」と「欲しい」には何かしらの温度差があるようです。
例えば「愛」「健康」などは欲しいというより必要に感じます。
中には「愛」なんていらねぇ!っと自暴自棄になっている人もいらっしゃるかもしれませんが、そういう人にこそ「愛」が必要に思えてなりません。
「欲しいモノ」のリストを家族に見せたらおそらく鼻で笑われるモノがいくつもあると思いますが、「必要なモノ」のリストには相手に「何でこれが必要なんだろう?」と推察させる要素を含んでいたりする。
本当に必要なモノって既製品というよりオーダーメードっぽいモノが多くなっていくように思うのです。
よりその人にあった仕様になることで必要性が具体的に表現できるから。
面接などの回答でも、上っ面の誰もがすぐに頭に浮かぶものは「欲しいモノ」の範疇。
逆に相手に「オッ?」と思わせる自分の世界は「必要なモノ」。
欲しいモノは金さえあれば手に入れることが出来るものばかりだが、必要なモノは金で解決できないものも多い。
単純な労働力はすぐに集められるが、本当に必要とされる労働力はなかなか見つからない。
経営者に欲しがられるか、必要とされるか、その差は言葉のニュアンス以上に大きい。
貴方が本当に必要としているモノ、見えてきましたか?