人生の秋を彩る「心の栄養」:豊かな終末への静かなるレシピ

60歳過ぎたら日々を豊かに過ごすためにも心の栄養が必要
2025年4月
1960年8月生まれの積荷オヤジとその同級生たちにとって、ついに65歳を迎える年度となりました。
イマドキの65歳と言えば「定年」というイメージか。
昭和の頃なら定年して5年が経過という感じ。当時のサラリーマンの感覚なら年金生活にどっぷり浸かって労働とはおさらばしているはずだった。
ところが何とか60歳まで辿り着いたと思ったらゴールは後ろに動かされ、今度こそとゴールテープを目前にしたら年金だけではとても生活していけない世の中になっている。
「定年」というゴールは単なる通過点になってしまった。
ここから先は今までのような労働対価としての収入は見込めず、わずかな貯えを削り生活費を切り詰め続ける闘いが始まる。
サイフと心身は痩せ細る一方で、ますます老いた風貌が加速していくって・・・嫌だなぁ。
幸い金は無くても時間だけはたっぷりある毎日。最近は65歳以降の生活を考えることが増えてきました。
そこで今回はちょっと哲学チックに老後を整理してみようかと。
美味しいものがたらふく食べれなくても、心に「栄養」が行き渡っていれば良き人生だったと思えるかな?
終わりよければすべて良し!という諺もあるしね。

自分がストレスフリーでいられる環境を知っていますか?
人生には色々な季節があると言われます。
若葉が芽吹き、力強く枝を伸ばす春。
緑が生い茂り、太陽の光をいっぱいに浴びる夏。
そして、葉が色づき、やがて静かに舞い落ちる秋から冬へ。
私たちの人生もまた働き盛りの夏を過ぎ、やがて静寂に向かう秋を迎えます。
この「人生の秋」から「冬」にかけての時期、私たちは体の変化をより意識するようになります。
体の衰え、病気、そしていつか訪れる別れ。
健康診断の結果に一喜一憂し、どんな運動が良いか?どんな食事が体に良いか?栄養のバランスは?と気を配る日々が増えるかもしれません。
それはとても大切なことです。健やかな体は、人生の終盤を穏やかに過ごすための土台となりますから。
でも私たちが本当に目を向けたい、そして多くの場合見落としがちな「栄養」がもう一つあります。
それは体ではなく「心の栄養」です。
若い頃は社会的な成功、家族を養う責任、日々の忙しさの中で心の声に耳を傾ける余裕は少なかったかもしれません。
でも人生の秋を迎えた今だからこそ、立ち止まり、自分の心にどんな栄養が必要なのかを問う時間を持つことが何よりも大切になってくるのです。

高齢者の趣味の繋がりは健康寿命と密接な関係があるとされる
では中高年や高齢者にとって、「心の栄養」とは一体どんなものなのでしょうか?
それは高価なサプリメントや特別な食事のように形があるものではありません。
それは私たちの心を温め、潤し、内側から満たしてくれる、目には見えないけれど確かに存在するエネルギーのようなものです。
たとえば、それは**「繋がり」**です。
かつての職場の仲間とのおしゃべり。遠く離れて暮らす孫からの電話。近所の公園で交わす顔見知りとの挨拶。
若い頃は当たり前だったかもしれない人との繋がりも、歳を重ねるにつれて失われたり薄れたりすることがあります。
でも意識して人との繋がりを求めること、大切な人を思い、思い慕われること。
それは孤独という寒さから心を護る温かい灯火のようなものです。
誰かと心を通わせることで生まれる安心感や喜びは、何物にも代えがたい心の栄養となります。
それはまた、**「学びと好奇心」**でもあります。

子供の頃は忍者になりたかった人も多い。なり切ってみれば?
「もうこの歳で新しいことを始めても…」そう思うかもしれません。でも、年齢は学びや好奇心を止める理由にはなりません。
俳句教室に通ってみる、タブレットの使い方を覚える、地域の歴史について調べてみる…どんな小さなことでも構いません。
新しい知識を得たり知らなかった世界に触れたりする時の心の高鳴りは、脳を活性化させるだけでなく日々に張りを与えてくれます。
私も60歳過ぎてから「AI」について興味を持ち、学生時代には芽生えなかった「学びたい」という気持ちが今の自分を支えていると言えます。
実際、軽貨物ドライバーを引退してからの今の職場で大いに役立っていますから。
「知りたい」という心の声に従うことは、魂を若々しく保つ秘訣です。
そして、**「役割と貢献」**です。

自分の人生における立ち位置を振り返る。まだやれることあるよね?
現役を離れ子育てからも手が離れると「自分はもう必要とされていないのではないか」と感じることがあるかもしれません。
しかし私たちはどんな立場になっても誰かの力になることができます。
ボランティア活動に参加する、自分の得意なことを地域の人に教える、あるいはただ家族の話をじっと聞いてあげることでも良いと思います。
「ありがとう」と言われること、誰かの役に立っていると感じることは、心の奥底に深く染み渡る滋養となります。
自分がまだこの社会と繋がっていて、必要とされていると感じることは、生きる意欲そのものを支える柱となります。
さらに、**「美と感謝を見つける心」**も大事。

いつもの公園もまだまだ新しい発見がいっぱい。人生もそう!
壮大な景色や有名な芸術作品だけが美しいのではありません。
庭先に咲いた小さな花の色。
窓辺に差し込む午後の柔らかい光。
淹れたてのお茶から立ち上る湯気。
日々の暮らしの中に潜む小さな美しさを見つけ、それに心を動かされること。
そして当たり前だと思っていた日々の出来事、家族の健康、友人からの連絡、美味しい食事に「ありがとう」と心から感謝すること。
こうした小さな積み重ねが心を穏やかにし、満たされた気持ちにしてくれます。
感謝の心は、どんな困難な状況でも心の平和を保つための強い力となります。
最後にこれは最も深い心の栄養かもしれません。
それは、**「自己受容と内なる平和」**です。

身体が動くうちに八十八ヶ所巡ってお遍路してみるのも良いね!
長く生きてくれば後悔の一つや二つ、いやそれ以上あるのが当たり前です。
うまくいかなかったこと、傷つけてしまったこと、自分自身の弱さ。
それらを全て否定するのではなく、「それが自分だったんだな」と静かに受け入れること。
完璧ではない自分を赦し、愛すること。
そして、過去の出来事に囚われすぎず、来るべき未来に怯えすぎず、「今、ここ」にある自分を受け入れること。
瞑想や静かな時間を持つことで、内なる声に耳を澄ませ心のざわめきを鎮める練習は、人生の最終コーナーを回る上で最も頼りになる心の羅針盤となります。
持て余す時間が今の私にこうした思いを巡らせます。
では、これらの「心の栄養」は、人生の終盤にどんな結果をもたらしてくれるのでしょうか?

壮大な自然の中のちっぽけな自分を客観的に見つめてみよう。
それは、単に「楽しく過ごせる」といったレベルの話ではありません。
心の栄養が満たされている人は体の衰えや病気と向き合う時にも、より穏やかで強い心でいられる傾向があります。
孤独に苛まれることなく、大切な人たちとの温かい繋がりの中で支え合いながら日々を送ることができます。
そして何より、来るべき「最期」を必要以上に恐れることなく迎えられる可能性が高まります。
心の栄養によって内なる平和を得た人は、自分の人生を振り返り、良いことも悪いこともひっくるめて「これで良かったんだ」と静かに受け入れやすくなるのかな?
後悔や未練に囚われることなく大切な人への感謝を伝え、そして自分自身の魂が安らかに旅立つ準備ができるのです。

心の栄養は同時に誰かのためにもなる。生きた証を世に残そう!
心の栄養は、人生の最終章を焦燥や不安ではなく穏やかさと充足感で満たすための静かなるレシピだと思うのです。
それは目に見えないけれど、人生の終わり際に最も鮮やかな色を添えてくれる絵の具のようなものです。
人生の秋は、収穫の時期であると同時に次に命を繋ぐための準備をする時期でもあります。
これまでの人生で培ってきた経験や知恵は、周りの人にとってかけがえのない宝となります。
誰の心にも、これまでの道のりが刻んだ美しい模様があります。
どうか体の栄養と同じくらい、いや、それ以上に心の栄養にも意識を向けてみてください。
温かい繋がり、新しい学び、誰かの笑顔、日々の小さな美しさ、そして穏やかな自分自身の心。
これらは人生の終盤という静かな時間に、豊かな色彩と深い味わいを与えてくれるかけがえのない栄養素です。
慌ただしい世の中ですが、人生の最終章が心満たされた穏やかで豊かな時間となりますように。
そのためのレシピは、きっと皆様の心の中にすでに用意されているはずです。
静かに耳を澄ませてみましょう。
きっと、必要な「心の栄養」が見えてくるはずです。