シン・軽ドライバー
最近、映画館で映画観てますか?
Netflix、Amazonプライム・ビデオ、Hulu、U-NEXT、dTV・・・等のサブスクリプションの動画配信サービスが乱立し、コロナの影響もあって「いつでも・どこでも・何度でも」という視聴スタイルがすっかり定着しています。
皆様も何らかの動画配信サービスを利用されたことがあるのではないでしょうか?
私もこれまでに数社のサブスク動画配信サービスを利用してきました。
そして現在は(これもサブスクの動画配信サービスの一つと言えると思いますが)投資に特化した学校に入校し、オンライン講義で学んでおります。
どのサブスクのサービスを利用するかは、大体において「利用料」「コンテンツの中身・豊富さ」「アカウントをいくつ持てるか(数人で利用できるか)」で決まると思います。
確かに一般の動画配信サービスでは映画やドラマなどの作品はかなり重複してますし、どこで差別化を図るかが利用者獲得の大事なポイントになるでしょう。

今日は何を観ようかな
配信サービス側も過去の作品を用意するだけでなく、オリジナルの作品を制作したりして優位性を保とうと生き残りに必死になってきています。
単なる価格勝負ではなく優良なコンテンツを揃えていかないと消費者にそっぽを向かれるというのは、どの企業・商品・サービスにおいても共通しています。
苦戦を強いられている映画館においても、様々な工夫を重ねているのは実際に行ってみないとわからない。
今では当たり前になったシネマコンプレックス=シネコン(同一の施設に複数のスクリーンがある映画館)などはわかりやすいですね。
複数の映画を一つの施設で同時に上映できるので人員の削減・効率化も図れ、客の視聴機会を逃さないメリットは大きい。
何となく「映画でも観ようか?」という行動未定の浮遊者たちに作品の選択肢を与えることで館に足を運ばせ、「もう1本いっとく?」と潜在的な鑑賞欲を満たすには、シネコンスタイルは実に合理的。

キャァァ!映像が飛び出すぅ!座席が振動するぅ!
作品をより魅力的・刺激的に演出するための「3Dメガネ」や「音響設備」、中には霧や香り、座席振動等の映画館でしか味わえないサービスは体験してみたいものです。
更に座席指定やペアシートも普通になり、事前に確実に着席できることを確認できるというのは安心して利用できる部分でしょう。
もちろん箱だけ充実させても肝心な作品に魅力がなければ客は集まらない。
次々と見比べできるサブスクサービスと違って、1回こっきりにお金を払うわけですから視聴者側の興味をいかに惹きつけるか。
視聴者側も目が肥えてきており、作品にいかに新鮮味と話題性を提供できるか。
過去に何万作品も作られてくれば、大抵のストーリーはどこかで観た・聞いたような部分があるのは仕方がない。
そこで開き直りとも言えるようなリバイバルに微妙に味付けを加えた「シン」シリーズが最近増えてきましたよね。
「シン・ゴジラ」「シン・エウ”ァンゲリオン」「シン・仮面ライダー」・・・
そして現在話題の「シン・ウルトラマン」とか。
これまでは「〇〇2」とか「○○リターン」とか「○○の逆襲」「帰ってきた○○」など、いかにも続編っぽいタイトルでしたが、最近は「シン・○○」というパターンに変わってきましたね。
私もそうですが、最初にタイトルを聞いた時、「シン」というのは新しいの新だと思いました。
ところが製作者側の意図はちょっと違って、明確な意味づけはしていないそうな。
新、真、神、深、震・・・ 日本語には数多くのシンという漢字があり意味がある。
おまけに英語のsin(罪)というのも関連性がありそうにも思える。
だが誰もが自分なりの「シン」で捉えていただいて構わないのだと。
このメッセージってある意味、現代人に重く問いかけていますよね。
固定観念に縛られて物事を見たり聞いたり判断している限りは何も解決しないし前へ進むこともできない。

スペシゥム光線はこうやるんだじょ!
私は「シン・ゴジラ」しか観ていませんが、確かに映画の前半に登場してくる「ゴジラ」はこれまでのゴジラのイメージとは全く違ったフォルムであり、しかも短期間での劇的な進化を遂げて最後は皆がイメージしているような「ゴジラ」に落ち着く(それでも体長は極端にデカいが)。
他の「シン」作品のコメントを見ると制作側の思い・問いかけがよくわかる。
想像していたものと違ったというだけで文句・不満をぶつける者が結構見受けられるのは悲しい。
それまでのゴジラやウルトラマン・仮面ライダーの持つ大衆イメージをいかに脇に置いて、最後に作品が何を言いたかったのかを各自で塾考するところに面白さがあるのであって、過去を忠実になぞるのはクリエイトな仕事とはちょっと違う。
作品の出来栄えは見る側各自それぞれでの感想であって、良いとか悪いとかでは語れないのではないか?
しかも悪評をつける者は過去の大衆イメージが基準になっているケースが多い。
もちろん昔の良いところは残すことも必要だし、そういう需要もありますから。
「水戸黄門」や「男はつらいよ」なんていうのはワンパターンが安心材料でもありますしね。

シン・ゴジラ対シン・ウルトラマン?
ただ一方ではリバイバル的な作品でも基準を変えて勝負する部分があってもよい。
シン・ウルトラマンではシンボルの一つであるカラータイマーが無くなったことが話題になっていますけど、3分間限定の闘いはそもそもTV放映枠を意識したものでもあったので、というかTV向けとか劇場版向けとかで論じている時点でもうダメですな(笑)
シン・ウルトラマンはシン・ウルトラマンなんです。
最近は書籍にも「シン・サラリーマン」「シン・営業力」とか出てきましたよね。
内容は自分が仕事で垢抜けるためにはこれまでのスタイルに疑問を持て、みたいな感じ。
昔からの営業方法や会社のルールが当たり前と思いこむことの危険。
通勤地獄、朝礼、会議、飲み会・・・
本当に必要ですか?
「近未来的軽ドライバー」というのも「シン」だと気付かれましたでしょうか?
単価150円でガソリン垂れ流して長時間に及んで配達し続けるようなことを私は良しとしません。
運送業界に漂っている変な常識・固定観念に染まってしまうと、人生詰んだ気になってしまうのがとても嫌なのです。

貴方の「シン」を見つけよう!
運送業界に染まった人に「ドライバーの風上にも置けないヤツ」と批判されるのは全然構わない。
むしろ自分の正当性を認めてもらった誉め言葉にすら感じます。
稼げないビジネスモデルの下で長時間拘束される異常さに気付き、そこから脱却する自分なりの結論での働き方をしているのですから。
でも軽ドライバーは軽ドライバーです。シン・軽ドライバーなんです。
生きている時間などほんのわずかしかないのです。
その限られた中でどう働きどう遊ぶのか。
その判断と実行は各自に委ねられているのです。
求人の通りに働くことが貴方がこの世に生まれてきた理由ですか?
貴方の「シン」とは何ですか?