スリラーと闘う現代人

今でも人々の心の中に生き続ける数々の名曲と伝説
「スリラー」と聞いて何を連想いたしますか?
50代以上の方々のほとんどがマイケルジャクソンのミュージックビデオ「スリラー」を即思い出すでしょう。
今からちょうど40年前に制作された作品ですが、まだCGもさほど普及していない時代でのほぼ実写撮影で音楽もさることながらストーリー・振り付け等の完成度とインパクトは強烈でした。
晩年とはずいぶん顔が違うのも印象的です!
CGや多種多様な楽器・演奏に慣れた現代の若者にも新鮮に感じる部分が多々あるように思います。
「スリラー」のゾンビ達のダンスや振り付けを見れば、どこかバブリーダンスで名声を得た登美丘高校ダンス部のパフォーマンスに共通する部分を感じます。
時代を超えても受け入れられるモノというのは普遍であり不変なのでしょうかね。
「スリラー」というのはマイケルジャクソンの代表作(アルバム)としても一つの単語としてすっかり定着していますけど、本来の意味は辞書・辞典等には一般名詞として「スリラー thriller」=映画・演劇・小説などで、観客や読者に恐怖を感じさせることをねらった作品・呼称。というような解説がされています。
もともとの「スリル thrill」をより活用した形にしたワードと言えましょう。

恐怖は気付いた頃には既に逃れられないところに迫っている
似たような使い方の語句として「ティーチャー teacher」も同様でしょうか。
「クリエーター」とか「エレベーター」などもありますが、ただしこちらの語尾は「er」ではなく「eを抜いてからorにする」というルール(ateで終わる時)があります。
何か中学か高校の英語の授業で習ったような・・・(-_-;)
せめて「スリラー」を引き合いに出して教えてくれれば皆がもっと英語に興味を持ったと思うのだが。
(残念ながら私が高校時にはマイケルの「スリラー」は誕生していなかった・・・)
更に余談ですが、〇〇ラーという名称は〇〇に特化した人の呼称みたいに使われますよね。
アムラーとかマヨラーとかプロボーラーみたいなのはごく自然に受け入れていませんか?
流行語とか社会現象としてよく用いられていますよね。
もう一つ、怪獣の名称も〇〇ラーや〇〇ラというものが多い。
コジラ、モスラ、キングギドラという東宝系から円谷系ではアントラー、ベムラー、ジャミラ等々。ケムラーなんてのもいたな。
今でも名前聞いただけで怪獣の姿・形・ストーリーまで思い浮かぶ。
この記憶力があるのに何で仕事や人生には活かされなかったか・・・
今回「スリラー」を取り上げたのはマイケルの方ではなくて一般的な解釈の方でのお話。
本来は映画・演劇・小説などのエンターテイメント上での「意図的な恐怖」を狙った演出として作り上げられたものなのですが、現代においてはそれがリアルな日常において人々に降りかかっていると思いませんか?
戦争にしろ異常気象にしろ金融破綻にしろ物価高にしろ・・・
もっと規模を狭めれば、日々どこかで起きる事件・事故の類とか、リストラや花粉症みたいなものでさえ「スリラー」と言えるのではないでしょうか?
もはや全く自分とは縁のない話とは言えない、誰にでも災いが降りかかりえる厄介な時代を迎えています。
今では毎日が「スリラー」というのが改めて実感できるでしょう。
マイケルの「スリラー」が流行った時代はバブルよりずっと前の平和な時代。
「スリラー」はゾクゾクしましたけど非日常としての作品として楽しめた。
ところが現在はスリラーの世界で皆が暮らしている。
ちょっと気を抜けばゾンビに襲われ食われてしまう恐怖に負けて精神を病む者も少なくない。

自信喪失し、何もかもが信用できなくなるのはヤバい
周りを見れば敵ばかり。
出世競争で足を引っ張り合う職場、非正規にも無理難題を押し付けノルマを迫るブラック企業、マンションでは住居階による見栄の張り合い、学校ではイジメが無くならないしPTA役員問題も陰湿極まりない。
アルバイトには勤務中の不適切動画を投稿され、客は客でこれまた店内での不適切な行動をやりたい放題し投稿する。
経営側としては誰を信用したらいいの?と嘆くしかない。
投稿動画に食いついていた視聴者からは手のひら返し(?)で即投稿者を特定され、一生を棒に振る損害賠償を負うお決まりのパターン。
マスクをしてもしなくても何かしら指摘される過剰監視社会、デリバリー頼めば個人情報を悪用され、ホテルに泊まれば盗聴・盗撮に気が休まらない。
ネットで注文しても偽物が届くし口コミもサクラばかりで信用すらままならない。
何でこんな世の中になったのだ?
周囲が普通の人のフリしたゾンビばかりの世の中でどうやって生きていけばよいのだろう?
もちろん善人もいるのだが見分ける方法はないものだろうか?

何もしなければ行き先はただ一つしかない!
そこは普段からの観察力と肌感覚がモノを言う。
毎日をただ何気なく過ごしているだけでは肝心な部分を見逃すし、進化も成長もしない。
自分が動かなければ周囲も変わることが無いという変な安心感に甘えてはいないだろうか?
時代も環境も立ち止まらず変化していることに気付かなければ、いつの間にか置き去りにされてしまう。
それこそゾンビ達の格好の餌食となるだけ。
いや、それは自業自得というもので決して時代や社会のせいではない。
貧乏な家庭に育っても良い学校出身ではなくても成功している人はいっぱいいる。
うだつの上がらない・恵まれないと思い込んでいる自分と何が違うのか?
おそらく「やりたいなぁ」「そうなったら良いなぁ」という受け身的な者と、「やる」「絶対にそうなる」と攻めた者の差が一番大きいのではないかと。
待つだけではゾンビに襲われる。どうせいつかは襲われるのなら先に自分で考え行動した方がマシ。
逆にゾンビを襲ってやるぐらいの気概があればアイデアも気力も湧いてくる。

「はずれ」を引き続ける闘い方を考え直そう!
何と闘うのか?
それはもう自分の弱さでしょう。
諦めグセが負けグセとなり自信を失っていくという負の連鎖に気付くべき。
自信に満ちた者と自信喪失している者は表情からも読み取れる。
特に面接官のような何千何万人と相対してきた者からすれば履歴書など不要かもしれない。
そんなことで自分を評価されて落ち込んでいてはいけないですよね?
自信ないままに自分を取り繕っても不自然さは逆に際立つだけ。
どうせダメと思うならハッタリかましてでも一度でも試しに攻めてみればいい。
自信ある表情や言動は諦めグセや負けグセさえカバーする。
そこで今までの自分と何が違うのかが見えてくる。
お行儀良く無難に相手に受け入れられようとするのではなく、他人と差別化できる部分をしっかり相手に伝えること。
もちろん失礼があってはいけませんが。

何も攻めずに終える人生じゃあつまらないよなぁ・・・
「一生懸命頑張ります」という面接にありがちなワンパターンフレーズはあまり印象は良くないらしい。
面接官も聞き飽きているし「あぁこの人も多と同じかぁ」とその他大勢に埋もれてしまう。
相手の想像を超えた「何か」は印象に残る。そこが自分にもあることが気付けるかどうか?
ゾンビだらけの世の中で自分が生き抜いていくには、ゾンビには敵わないという先入観を捨てること。
日々いろいろな事象にはそれぞれに意味があることを観察し考える力を養いましょう。
そこから自分を客観的に分析することができるようになるし、闘うための武器や戦略・戦術も見えてくる。
無知・丸腰で立ち向かっても相手にされないし誰かに食われ肥やしとなるだけです。