50代以降の働き方考
昭和の時代を経験してきた人間にとって、平成後期辺りから現在に至る時代って確かに便利にはなっているのだろうけれど、何か生き辛い世の中になっていると感じる人は多いのではないでしょうか?
現在20代30代ぐらいの方々には、パソコンも携帯・スマホもインターネットもない時代で働く姿は想像できないでしょうねぇ。
営業マンはポケベル(初期の頃には文字表示機能もない)を持たされ、会社からの着信を受けると近くにある公衆電話から折り返し会社に電話して要件を聞くという、今考えれば恐ろしく効率の悪いことを皆がやっていた。
仕事中にいてはいけない場所にいる時などはすぐに会社に連絡ができなくとも、近くに公衆電話がなかったとか言い訳ができるので逆に便利(笑)という部分もある。
緊急要件であっても折り返し電話するのに5分ぐらい時間がかかっても、特に叱られることもないような何とものどかな時代でした。
そういうのが当たり前という認識を皆が持っていれば、ギスギスすることも少なくて済む。
今ならワンコールで出ないだけでイライラするような時代ですからねぇ。

電車が止まると駅周辺の公衆電話には長蛇の列が・・・
人それぞれに得手不得手があり個人差がある。
同じモノでもどこに便利さを感じるかも違うし、そもそも便利と思えないものも存在する。
全ての人に一律に使いやすさ・便利さを訴求するのは、なかなか難しい。
電化製品のマニュアルなどが良い例ですね。
作った方はかなり丁寧に優しく解説しているつもりでも、初めて使う者にとってはチンプンカンプンということはよくある。
特に高齢者は付属品の意味すら理解できなかったりする。
だから最近はネット上で動画での解説に力を入れ出す流れがあるが、高齢者がネットを見るか?という問題がまた厄介。
使う側も使わせる側も時代の進歩と便利さに伴う複雑さに頭を使うことになるから、心の底から「便利な時代」と思えないのではないだろうか?
使う側・使わせる側と言えば、労働においても似たような部分がある。
メーカーとユーザーの関係が雇用側と労働者という立場に置き換えられる。
サービスを提供する側と利用する側。
ただし大きく違うのは力関係。
ユーザーはお客様という位置付けで一般的には上位扱いになりメーカー側が気を遣う立場。
ところが労働者は雇用側より下位扱い。雇用側の顔色を窺いながら言いなりとなるのが自然という不条理。

いくら頑張っても評価されない労働対価の低い働き方を考えないと。
そもそも提供する「労働」とそれに対する「報酬」は同等のはずなんです。
それが「仕事をさせてやる」「金をくれてやる」という側と、「仕事をさせていただく」「お金を有難く頂く」という側の主従関係になっている。
だから仕事の内容も労働時間も賃金も全てが雇用側の好き勝手にされ、そこに異論を挟む余地すら与えられない。
ずっとこんなんだから日本の競争力は落ちる一方で30年間にわたり実質賃金が増えないんです。
昭和の頃は現代と比べて職種は圧倒的に少なかったのですが、職に困っているという人は少い印象がある。
働く側に力があり「ストライキ」という労働者側からの実力行使が頻繁に行われ、雇用側も待遇改善やベースアップに渋々応じることがあった。
労働者が労働拒否すれば即企業の業績に影響を与える怖さが労使ともにわかっていた。
だから「ストライキ」というのが労使の力関係を均衡に保つ大きな武器・伝家の宝刀となっていた。
ところが平成・令和と時代が進むにつれ、「ストライキ」という言葉を使う機会が極端に減っている。
景気が落ち込み不況が蔓延化して雇用が減り労使の力関係が崩れてくると、主従関係が自然と出来上がり今に至る。
ストライキ権は存在するが、伝家の宝刀を抜けば返す刀で労働者側も切り刻まれる。
だからこそ露骨に主従関係の出来上がった仕事・働き方は避けるべきではないか?

荷物を運ぶだけなら単なる労働者。それ以上の可能性を持てば強い働き方となる!
軽貨物運送業は経営者としてプレーヤーとして自分が労使どちらにでもなれる面白い働き方。
「自由」という雰囲気に憧れて参入してくる者は多く、前職は上記のように労使の関係に嫌気が差す会社員経験者がほとんど。
ただ残念なのは結局は「仕事を与えてやる」「何でもやります」という主従関係に落ち着いてしまうパターンがほとんど。
当初は自由な働き方を謳っていたAmazonの配送仕事でも、日本の労働法に明らかに抵触するような働かされ方が問題となっていて、配達員が次々とエリア単位で組合を結成するような騒ぎになっている。
当初は新鮮味もあって夢中に働いていた新参ドライバーもやがては気付く。
もし私が1日配達150個だ200個だみたいな宅配仕事をやっていたら、いくら多少稼げると言っても何年も続けていたら心が虚しくなっていただろうなぁ。

同じ職種でも千差万別。賃金より自分に合うかどうかを吟味せよ!
倉庫の仕分け作業だって何を仕分けるかで全然違う。
多少時給が安くても楽な仕事なら続けられるし、私の場合は社会保険のために労働時間をあえて提供している。
社会保険に加入することで2万~2.5万円位の支出が減るから、時給が安いことをカバーできる。
運送会社の仕分けなんて見た目の時給が良くてもやるもんじゃない。
1日で辞める者が後を絶たない仕分け仕事の現状は表沙汰になっていないが、実はドライバー不足ばかり取り上げられている運送の世界ですが、裏方さんである荷物の仕分けマンがいないことも大きな問題のように思う。
一般的な軽貨物ドライバーだって基本的には当日の配送リストと伝票・荷物は用意されているから出来るのであって、これが仕分けられていない荷物の山から自分で探し出してやるなんて想像できますか?
たぶん出発まで今より2時間以上かかるのではないか?
それをカバーするために2時間以上早く集合とか、労働時間に含ませない余計な拘束時間が発生することを「仕方がない」なんてお人好しで働いちゃうからいつまでたっても労働弱者なんです。

いつまでも若くない。これからどうするか考えないと・・・
やらされ的にやる仕事は「生活のため」という側面が強い。
「何でもやります!」というスタンスで目の前の仕事にしがみついちゃうから足元を見られ低賃金で長時間労働になりがち。
やはり複数の収入ネタを持ち、嫌なら辞めることが容易にできる選択肢を自分の中に作ることは大事。
私の場合は深夜と土日祭日は頭脳労働的な時間。
肉体労働と対照的なのは労働時間と収入に制約がないこと。
仕事をいくらやろうがいくら稼ごうが自分で全てを決めることができるという働き方もあるということ。
せっかく貴重な労使関係の経験がある中高年、特に50代以降の方々はいつまでも「働かされ」てはいけないと思う。
「そんなこと言ったって働き口がねぇんだよぉ!」と嘆くだけではいけない。
用意された仕事を探すから働き口が見つからないのではないだろうか?
毎日同じ時間同じ場所に行って働くというパターンを捨て、違う時間違う場所でも出来る収入ネタを組み合わせるという「一つに依存しない」働き方も考えてみたらいかがでしょう?

まだまだ人生は続いていくのじゃ
体力気力が確実に衰えていくことを見越して考えましょう。
今の体力で目の前にあるエサに食いつくよりも、3年後5年後10年後の自分を想像して働き方を何パターンも用意することの方が絶対に大事。
働くこと前提で収入を得るという常識から少し距離を置くことで見えてくる景色もあります!
人生の終盤ぐらいは自分の思うとおりに過ごしてみたいものですな。