我慢の箱
慌ただしい運送業界も来週はドライバーも交代で休むなどして、ささやかなお盆休みモードになります。
日常に忙殺されやりたいことが出来ないどころかゆっくり考えることも出来なかった人は、十分とは言えないまでも連続して休みが取れる機会ですから、心身ともにしっかりとリフレッシュしておきたいものですね。
一旦仕事から解放されると、ようやく脳内にもいろいろなアイデアが湧き出るスペースが生まれ、自分を客観的に見つめる余裕が出て来ます。今の自分に何が出来る?何がしたい? と、自己欲求・自己実現の芽が出てきたらそこでようやく人間は自分を取り戻しつつあるということ。
自己実現とは、「人間の合目的な生産活動の過程で、ある対象に働きかけ、それを獲得しながら、人間としての豊かな自己の能力や個性を実現させていこうとするもの」とある。(ブリタニカ国際大百科事典より)
哲学的な表現をすると小難しく感じますけど、要は様々な条件がクリアされていくにつれ次の欲求が生まれ、それを実現しようとすることが行動動機になる。
忙しい時にはいろいろなことを考える余裕もなかったのが、休みに入ることで「時間」を手に入れその「時間」が忙しくて出来なかったこと、忘れていたことを思い出し、「やりたいなぁ」「やってみよう」という欲求から実現への行動を生み出していく。
他人の時間を生きていると、なかなか自己欲求・自己実現というものを「我慢」という箱の中に封印してしまうので、いつの日かその存在すら忘れてしまっていませんか?
独立するということは自己欲求・自己実現のための一つの行動です。
「我慢」という箱の中身を忘れることなく、本当の自分を解き放つ勇気・行動なのですが、残念ながら人はそれを成功か失敗かだけで判断しようとする。やりたいという純粋な気持ちやチャレンジすることを愚かな行為と決めつけ、自分が「我慢の箱」を開けない言い訳を正当化しようとする。
子供の頃はやりたいことっていっぱいありましたよね?それを口にしたからといって誰に何を言われることもなかったし、実際にいろいろなことを試してみたはずです。野球やったりサッカーやったりピアノに挑戦してみたり、それが男の子であろうが女の子であろうが関係なく機会と可能性は無限にあったはずです。
それが塾に行かされお受験をさせられ進学先に相応の就職という、いつの間にか誰かの敷いたレールの上を走る人生になってしまっている。自分がやりたかったこと・自分という個性はどこへ行ってしまった?
他人の時間を生きる者だらけの社会では、自分の時間を生きようとする者が異端児扱いされ嫉妬の対象として攻撃されやすいのも、「我慢の箱」が開けられなくなる理由でしょう。
子供の頃には必要のなかった箱が、歳を重ねるにつれ箱も大きくなってゆく。そして大人になると箱には蓋が付き鍵まで付くようになる。誰にも見せないどころか、自分でも開けられないぐらいに頑固で融通の利かない箱が出来上がっている。
そうまでして見せたくないもの、封印しておかねばならないものって何?
箱の中身を他人に知られることで、自分を否定されるのではないかという不安・恐怖。
自分が興味あること、やりたいことを口にも出来ない人生って楽しいですか?
働き方改革って仕事に関することだけではなく人間回帰全体に関係してると思うのです。
労働という時間が余りにも生活を支配しすぎている。労働に支配される日常は生活ではなくもはや「死活」。自分の意思や希望が入り込む余地がないのであればそれは生きた活動とは言えない。
本来の生活を取り戻すには、まず各自の「我慢の箱」を開けてみてそこに何が入っているのかを確認・棚卸しすることから始めるべきです。一生箱の中に入れておいてよいものかどうか?そろそろ箱から解放すべきではないか?
箱の中身は各自の願望・夢・可能性がいっぱい詰まっているはず。
自分を見失いかけた時、箱を開けて一つ一つ確認してみると良い。
そこには本当にやるべきことが見つかるはずです。
残りそう長くもない人生、いつまでも我慢の箱を大きくしているだけじゃあ悲しすぎます。「我慢の箱」を空にすることが出来たとき、良い人生だったと思えるのではないでしょうか。
まずはこのお盆休みを利用して、膨れ上がってしまった「我慢の箱」の整理をしてみることをおススメいたします。
やりたいこと、一つぐらいは実現してみましょうよ!