今の仕事を突き詰めた先に何がありますか?

私は運送の仕事中や複業間の移動時など、大抵の時間は走行中にラジオを聴いております。

ラジオから流れてくるCMの中で、「この国では、お茶もお花も弓も、どうしてみんな道になるのでしょう?」というものが妙に印象に残っています。
なかなか素敵な切り口のコピーですね。

 

 

人が歩んだその跡には道ができる。

というのとは少々違った意味ですよ。

結果ではなく現在進行形というか、自己鍛錬・修行の目的=求道的な行為・行動の総称として関わるジャンルに「道」をつけることが多い。

茶道、華道、書道、弓道・・・

中には柔道や剣道、合気道などのように競技名として一般的に使われているものもありますね。

 

学生時代には部活動として「〇〇道部」などとして馴染みのあるものもあったのでは?

どうしても学生時代でのイメージでは「〇〇道」といっても、ストイックなまでに自分を追い込むというよりは、どちらかというとサークル的な楽しいノリが感じられます。
というか楽しそうでないと人が集まらないから (^-^;

本当に真剣に物事を究めていく、例えば伝統文化を継承するというような鍛錬を重ねているような方々の姿に、「〇〇道」という呼称が相応しいのでしょう。

そこにプロフェッショナルを感じずにはいられません。

以前読んだある雑誌の記事で、青柳美扇さんという若い女性の書道家の紹介がされておりました。
なぜ彼女が印象に残ったかというと、梅花女子大学 日本文化創造学科書道コースという聞きなれない学歴。
そして在学中から国内海外を問わず仕事の依頼が舞い込むという、「書道」というものとビジネスの関連性。

 

一般の方はおおよそ選択しないであろう特殊な専攻学科。
そこに彼女は「書」と自分の将来をどう見ていたのか?

彼女は私たちが知り得る範囲の「書」の世界に収まらず、学業を超え自分なりの創意工夫を取り入れて文化やビジネスをも超越した新たな世界観を創り上げている。
彼女の書道家でありながら書道家を超えた生き方は、軽貨物というビジネスモデルの歯車に踊らされ速さと数を競わされているドライバーには少しでも参考になる部分があると思います。

私が近未来的軽ドライバーという世界観を創り上げようとしているのも、実は彼女の経歴・活動に非常に刺激を受けていることが影響しています。
既存の働き方を超えた先に自分の存在意義を見い出したいと考えております。

 

おそらく「〇〇道家」を名乗れるような方は本当のプロフェッショナル。
腕一本、いや筆一本・楽器一つでいろいろと表現できるし、一仕事いくらという職人としての稼ぎ方になる。
仕事を選べるので中身・質は自然と高くなるし、やりがいを感じることができる。

ただしセミプロぐらいの生き方をしている場合、黙っていても仕事が舞い込むような方ばかりではない。
多くの方は部分的に関わる生き方、例えば習字や音楽教室の先生とか地域のセミナーや教室の臨時講師的な時給的な仕事をされている方が多いのではないでしょうか?

 

「道」の究め方、将来の方向性、本気度で結果が変わってきます。
先述の「日本文化創造学科書道コース」という専門的な分野を専攻しても、誰もが書道家を名乗れるわけではない。
青柳さんのセンスや能力もあったのでしょうけれど、同じ授業内容・環境の中でも「書」に対する取り組み方が他と一線を画していた部分は必ずあったと思います。
これっていろいろな仕事にも共通する部分だと思うのです。

 

軽貨物という働き方においても、同じようなことをしているのに個々の結果に違いが出やすくなっていることを最近強く感じています。

今の軽貨物の世界は宅配に代表される昔ながらの拘束時間の長い契約・働き方と、マッチングアプリ系のギグワーク的な働き方に大別されるでしょうか。
それぞれに適・不適がハッキリしているように思います。すぐに辞める人が出てしまうのは適・不適にすぐ気が付いたからでしょうか。

「習うより慣れろ」ではなく「慣れるより辞めろ」?

 

昔ながらの働き方は言わば「定食コース」。出されるメニューも金額も相手のお任せ。
何も面倒なことはない反面、苦手なモノは食べなければならず食べ終わるまでは帰れない。
我慢することがいろいろあるが、事業主なのに会社員的な働き方。生活のためという感じ。

ギグワークは「アラカルト」。量も金額も自分で調整できる。
自分で中身を吟味する必要があるが、好きなものがなければ食べなくてよい。
ただしお店のメニューが常に注文(エントリー)できるとは限らない。
注文できない日が続くと飢え死にする。

こんな軽貨物の働き方において、「道」を究めるとはどいうことだろうか?

簡単に言えば稼げるようになるための創意工夫ということでしょうか。
速く配達する、数多く配達する、一切事故を起こさない・・・

もちろんどれも大事なことですし、達成できればそれなりに満足感は得られます。
宅配で1日200個配達できたとか月収が50万超えたとか。

しかし軽貨物が虚しいのは1度達成しても、それが毎月毎年続くわけではない。
そのスキルは自分だけの評価であり、場合によってはスキルをノルマ的なラインとして悪用されこき使われる材料にもなる。
別に個数単価が上がるわけではなくボーナスも出ない。
残りの人生をそんな配達マシーンとして過ごすのは、「軽貨物道」と呼んでいいものなのかどうか。

 

何か軽貨物の仕事やスキルに「書道家」のような世間的な評価と特殊なビジネスが結び付けられないものか?

配達マシーンと化してしっかり休憩もとれず、自分を見つめる時間も余裕もないというのは「道」ではない。
実際は相手にいいように使われているだけで、相手の道を走らされている感じがする。

「軽貨物道」という狭い考え方よりは「軽貨物を利用した働き方」を究めて「道」としたい。

 

100万も200万も稼げるわけでもないのに自分の時間の多くを奪われる働き方は私は好まない。
速さや数字に振り回されない働き方は、自営業だから可能になることが多いのです。
仕事をチョイスでき、時間と収入のバランスが取れる働き方を積荷オヤジの「道」、近未来的軽ドライバーとして考えておりますだ。

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