自分は何に支配されているか?

この世に生を享けて数十年。
ここまで思い描いていた通りの道のりを歩んで来ていますか?
そしてこの世に別れを告げる時、安らかに笑って旅立てそうですか?

人は生まれた瞬間から終幕へのカウントダウンが始まります。
しかし神様は私達に平等に時間を与えてはくれません。

 

病気・事故等で本来の寿命を全うせずに人生を終えてしまう者
平々凡々・波風の立たぬまま良くも悪くも延々と歩みを続ける者
常に波乱万丈、制御不能のジェットコースターのような日々を送る者・・・

人は最初からそれぞれに運命が定められているのでしょうか?
いかに努力しようと苦労しようと、報われないと思ったことはありませんか?
逆に宝くじに当たるというような、努力も苦労も無く幸運が舞い込むこともある。

こういう運・不運のような差を私達は「不平等」という言葉で片付けがち。
確かにどんなに頑張っても報われないのはやり切れませんし、とんとん拍子に物事が上手く進む人にジェラシーを感じることはあるでしょう。

そんな時、私達に不平等という状態がなぜ生じているかを冷静に分析できれば、もしかしたら人生を好転させる手がかりを掴めるかもしれません。
運命を変えられるかもしれない手がかりが!

そこで人々を支配する力の一つ、宗教のお話からヒントを探っていくことにします。

神様を支配していた日本人?

「神頼み」という言葉があります。
何かに困った時、すがりたい時、自然と手を組み目を閉じ祈るポーズをしたことがあるでしょう。
「仏頼み」という言葉はほとんど聞きませんね。
日本人の心には仏様より神様の方がウエイトが大きいのだろうか?
「神様、仏様、○○様・・・」というお馴染みのお祈り言葉の順列のように・・・

 

現代の日本人は無宗教民族と言われています。
じゃあ何で日本各地にお寺や神社が数多く存在するの?というツッコミはお約束ですね。
古くから日本は仏教の影響が濃く、遠くは遣隋使・遣唐使によって仏教が本格的に日本に伝わってきたことで元々は仏教が主な宗派だったと言えましょう。
なのでお寺や神社が国内には多く現存しているのです。

一方、キリスト教も1549年にフランシスコ・ザビエルにより日本に伝わるも、キリスト教徒になった中には大名もいて、布教活動に乗じて外国と貿易をすることで当時の幕府より力をつける事を恐れ、1587年に豊臣秀吉がバテレン追放令を出すに至り、この流れが後の江戸幕府の鎖国へ繋がっていく。

「隠れキリシタン」という言葉は日本史の授業でも聞いたことがあるでしょう。
日本ではキリスト教がタブーとされた時代が長く続いていたのです。
江戸幕府倒幕後の明治の時代になっても、最初は政府により明治天皇が神格化されているような状況で、キリスト教が逆に近代史の短期間で現在のように生活に溶け込んでいることが不思議な感じがいたします。

長い不遇の時代を経て現在ではキリスト教も誰にでも「神頼み」される存在となっています。
まあ頼みごとをしている神様をキリスト様と思っているかどうかはわかりませんが。

本来なら自由に信仰できるはずの宗教が、時の権力者の思惑で布教活動すら出来ない。
人々を苦難から救う立場である神様が、逆に人間によって神様の立場が支配されるような事象が日本では起きていた事実。

世界でも宗教の違いで戦争まで起きるほどですから、やはり支配する力というのは恐ろしいですね。
宗教間のいがみ合いと言うのは結局は自分達を支配している者の代理戦争みたいなものです。
第三者の立場で見れば、支配されている者は見えない力で動かされているように感じてしまうのですが、当の本人達はそれに気付いていない。

 

人生が思うようにいかない人はまず自分は何に支配されているかを確かめる。
例えば自分を支配している存在を雇用する側の人間・会社に置き換えてみると、労働という生産活動の中で置かれている立場が見えてくる。
相手の教義に従い生活の全てが教義の中で完結するような生き方になっていませんか?

住宅ローンも人生を支配される存在ですね。
よく家を購入したからと安心する人いますけど、ローンを完済するまでは名義が自分になっているだけで支払いが滞れば追い出されるのです。

30年、35年と支配されるローン期間って、長いですよねぇ。
自分で選んだ道なのにある意味、恐怖による支配下に置かれていると言えましょう。だから皆、一生懸命支払いを続けるのです。
その先に何が待ち受けているか知らないのに・・・

 

支配されている状態では、意識していなくてもそれが楽な時もあれば不自由な部分もあります。
必ずしも悪いことばかりではありませんが、完全にマインドコントロールされていてはいけません。
自分を支配している相手を知り、かつ支配から離れることが可能な状態にしておくこと。
支配に完全に屈していると自分の存在意義を失うことになる。
いや、相手のために存在はしているのか・・・

職業選択の自由はあるが、転職・退職のハードルが高いのは支配から脱出することへの見えない力が働くから?
「出る杭(釘)は打たれる」という有名な諺も、横並び支配の力が働いている世界ならではの金言(?)

余談になりますが、今回の記事を書いていてミッション系の大学に通っていたことを思い出しました。
敷地内にはチャペルがあり、入学式や卒業式ではチャペルで厳かに讃美歌など歌った(歌わされた?)ことも今では良き思い出です。入学式の時は口パクでしたけど(^^;)知らね~し

そうそう、「キリスト教概論」という必修科目があって、教材で聖書を買わされました。
もちろん授業で使うためですが、ところどころに誰もが知っている話も出てくるのでその時は授業に集中できます(笑)

人は興味ある事には意識を向け、関心の薄い事には耳を傾けない。
人間ってそんなものなんでしょうけれど、だから宗教も授業も広告も、人の心を支配するテクニックが凝縮されているんですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です