自分の弱さに向き合えない者の最期

弱いことを認めたくない・・・

暑い夏もようやく1/3ほど消化したところ。まだ序盤戦にすぎません。
新型コロナは変異が止まらず毎年のように感染者のピークが訪れ、円安だ値上げラッシュだ増税だ と国民の生活はいつまでたっても落ち着かない。
しかし政治家たちは長い夏休みと確約された高いお給料で生活の不安感ゼロ。
これでは国が衰退していくのは当然ですな。

 

最近見ていた動画でショッキングな政治経済の討論番組がありました。

私はツイッターはやらないのですが、唯一フォローしているのが元日経新聞記者の後藤達也氏。
彼の情報処理能力と資料作成能力は凄い。非常にわかりやすい解説も加えて政治経済に疎い人々の頭の中にストンと入ってくる。

最近日経新聞社を退社しフリーになってからは情報発信数も活発になり、数々の番組にも出演しているのでご存知の方も多いと思います。
そんな彼がMCを務め発信しているYouTube番組の一つ、「あつまれ金融の森」にてちょっと日本は大丈夫か?と思わせる人物が登場しているので、検証していただきたい。

ちなみにこの回ではあの「ひろゆき」氏もゲストで参加しているのですが、問題人物を論破するどころか苦戦を強いられるという意外な展開に。
あの曲者のひろゆき氏が普通の人に見えてしまうから必見です。

【あつまれ金融の森 生配信 黒田日銀、どう評価する!?

日銀の金融政策決定会合の9人の審議員の一人であったという重鎮はどんな人物なのか?
ホントにこういう他人の意見に耳を貸さないようなメンバーが集まって日本の金融政策を決めているのかと思うと、正直ちょっとゾッとしました。

政治経済に詳しい方であれば原田氏の発言に一定の理解をするのでしょうが、庶民感覚からすると「これで会議が成り立つのか?」と不思議で仕方がない。
ひろゆき氏の丁寧な質問に対して頓珍漢な回答に終始する姿は、老人の私が見ても老害にしか見えない。

私は自分は普通だと思ってはいるが、他人の目からは老害でしかないのかもしれない。
日本どころではない、自分自身の危機感すら抱かせる非常に有益(?)な討論でございました。

興味が無いといって政治経済から距離を置いている人も少なくはないと思われますが、自分たちの生活の基盤がどういう風に形作られているかを知らないことはマズイ。
単に「税が高い」「物価が高い」「仕事が無い」と国や政治に責任転嫁していても、何も好転しないし変わらない。

己を知らないことは一番の情弱

それどころか無知であるがゆえに相手に都合よくあしらわれ利用されるのは、自業自得と心得るべし。
この辺は投資等で失敗する者に共通する部分がある。
短絡的に結果しか見ていないから大事な過程を疎かにし、最後に泣きをみるまで気付かないとか。

「急がば回れ」という有名な諺があるが、いつの時代にも通用するから諺なのです。
上手い話があったらまず下調べぐらいしなさいよ と。

儲け話をなぜ人に勧めるのか?なぜ自分でやらないのか?
なぜ短時間で結果が出るのか?(時間がかかる・面倒な仕組みは敬遠されるから)
特に形の無いものに投資させるのは危険。(株とFXの違いもここにある)

ただし何でもかんでも怖い・危ないといって避けることが絶対的な正解ではない。
時には少しかじってみたり試してみたりすることも必要。
タコやイクラ、キノコやニワトリだって最初に試食した者がいたから現在がある。
最初に恐る恐る試食した者は金鉱を発掘したようなもの。勇気が何倍ものリターンと成り得る好例です。

美味しかったらリターンあるかもよ?

私達は普段そのようなチャレンジをしていますか?
目の前にすでに出来上がっている仕組みやモノに対して、知ったような顔して意見しているだけ。
自分が良いと思って買ったり働いてみたりした結果が上手くいかなかったりするとすぐに文句を言う。

新しいことを自分で考えたり創り上げようとはしないのは何故?

責任が自分に帰属するのが怖いんです。責任転嫁・言い訳する部分を残したいんです。

起業や投資は怖いからやらないけど、パチンコや競馬は平気。
現職の待遇・働かせ方に毎日愚痴するが、転職する勇気はない。
節約を強く意識しているくせに、コンビニで買い物しちゃう。

日常の中で自分の弱さが散見しまくってませんか?

自分は弱いくせに他人には強い態度を平気でする。
モンスタークレーマーなどもこの類か。
弱い自分を立場を利用して攻撃でごまかす。「攻撃は最大の防御なり」を曲解して使っている。

自分の弱さは恥ではないのよ。受け入れることが大事なの。

言い訳とか責任転嫁というのはまさに自分の弱さを隠す行為。
論点を移し替えてその場を収めようという自衛本能が発動した状態。

人間なら誰でも弱い部分があるのだから潔く認めなさいよ。
周囲は弱い人間の部分を責めたりしていない。その弱さを隠そうと虚栄で固め他人に責任転嫁したり攻撃したりする醜い部分を責めるのです。

そういうことを続けていくと、いつしか後戻りできなくなる。
虚栄で塗り固まった変なキャラクターを一生演じていかなくてはならなくなる。
ご近所さんの評判を意識するあまり、一流企業勤めの体を装って身の丈に合っていない高級スーツを着飾ったり休日返上で無理して自治会のボランティアに参加して自分の首を絞めていませんか?

自然体でいることって意外と難しいものです。
でも自然体を通せる人って肩の力が抜けた羨ましいライフスタイルを実践している。
自分を知り尽くしているからこそ、自分本来のあるべき姿をわかっているのでしょう。

何でも比較したがったり評価されたがったりするのは、SNS全盛の世の中では当たり前になっている。
しかしそれはSNSの弊害でもある。
自分は自分であり、評価はあくまでも他人都合の勝手な評価。そこを見失って評価が自分の基準になって世界が回り出すと、思考も行動も自分の本来の姿と乖離してゆき余所行きのアバターが出来上がる。

アバターでないのは誰?

どこもかしこも余所行きのアバターだらけの世界って何が本当かわからない。
信じている友情や愛情は本人とは全く違うアバターに向けていると思うと気持ち悪いですよねぇ。

結局自分の弱さが虚像を作り出し、虚像同士で出来上がったコミュニティで最後まで情や信用が通し切れるのだろうか?
まだネットもケータイも無い、対面でしか相手を確認できない時代の方が皆が自分に素直だったのではないか?

自分の弱さに向き合った生き方をしていない人ほど、トラブルに巻き込まれやすいのではないだろうか?
情報弱者だけが損する時代でもない。情報強者と自負し自分を隠して時代の波に巻き込まれている人こそ悲惨な最期を遂げるような気がしてならない。

おばあちゃんだけが信用できるよ

彼を知り己を知れば百戦殆うからず

孫子の兵法で有名な一節ですが、「情報を知り尽くし使いこなすことができても、肝心な自分自身を知らないと危ないよ!」とも言い換えられる。
やはり昔からの教訓・諺は心に留めておきたいものばかりですな。

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