窓際族か?働かないオジサンか?
今週末はクリスマス、来週末はお正月ですよ!
年取ると月日の経つのが妙に速く感じます。
寿命が80歳だとしたら、私ならクリスマス・正月はあと17~18回しか楽しむことができません。
皆様なら何回楽しめそうですか?
クリスマスがあと20回しか楽しめないと考えると、残りの人生ってヤバくないですか?
60歳が近づくと定年やら老後の不安が一気に現実のものとして脳裏を埋め尽くしてきます。
上記のようなクリスマスやら正月やらが楽しめなくなるという問題とは別に、働けなくなる・収入がなくなる・健康に自信がなくなるといった切実な問題点が浮き彫りになってくるから。
既に十分な貯金や資産をお持ちで更にそこそこの退職金も貰えるとか、嘱託等で雇用延長も可能だとかの恵まれた状況の方は羨ましいですね。
まあ貯金や資産形成を怠ってきたのは自業自得。いくら安月給だったから無理だったと言い訳しても後の祭り。
少しでも待遇の良い会社に入ろうと努力したか?
少しでも給料が上がるような努力をしたか?
意味の無いお金の使い方をしていないか?
転職をいつも躊躇い恐れていないか?
振り返ればいくつかの分岐点はあったはず。
そのチャンスをみすみす逃し、挑戦を避け楽な方を選び現状に甘んじてきた結果が今の自分。
こういうのを結果論とも言うんですけどね。
労働人生も終わりに近づけば後悔することの方が多いのが当たり前かもしれませんが、現在労働者人生の真っただ中にいる人の中にも悲喜こもごもの人間模様が描かれている。
「喜」の方では昇進・昇級・栄転という、サラリーマンなら憧れるご褒美がそれでしょう。
昭和の時代はとにかく真面目に長く勤めていれば、多くの人が何かしらの恩恵にあずかることができた。
安心・安定の象徴とも言えたのがサラリーマンでした。
一方「悲」の方は降格・左遷・リストラと、もはや現代人には身近な扱われ方ですね。
どこかに飛ばされたり首を切られなくても、社内で飼い殺しみたいな扱いを受けることもある。
その代表的なワードとして、窓際族 が有名ですね。
法的に簡単に解雇ができないため、せめて業務の邪魔にならない席位置やポジションを与えられる?
もちろんそういう人がオフィスの真ん中に居ては支障が出やすいので極力端っこに座らされる。
そこが窓のそばということが多いので「窓際族」なる名称がついた。「壁際族」とも言われる。
OLさんの間では露骨な表現はマズイだろうと「すみっコぐらし」などとも揶揄される。
トレンドに乗った名称ですが、こちらの方が更にバカにされているように思うのだが・・・
皆様ならどちらで呼ばれたいですか?(笑)
窓際族ってすっかり定着しちゃっているので、どんな人だかイメージ湧いちゃいますよね。
最近はリストラの低年齢化が進み、若くして窓際族になる人も多いとか。
実際には辞令で「窓際族勤務を命ず」なんてことはありませんけどね。
少しづつ仕事の内容が変わったり量が減ったり、配置転換と言うドサクサを利用して巧みに席を移されたりするのが一般的。
ただ事情を知る職場の人間は近寄ることもせず、本人は忙しさから解放される(大した仕事を任されない)こともあり、何か孤立感を漂わせているように見えてしまう。
また情景描写として夕日がよく似合うんだ。
窓際なのになぜか朝日ではなく夕日があたるシチュエーションこそ最適に思えるのは何故?
夕日 = 落陽 = 日が沈む = 落ちていくイメージ。
遣唐使の時代から「日のいずる処(国)」「日の沈む処(国)」の表現問題が日本と中国の間にある。
立地的に中国からみた日本は「日が昇ってくる方角」であり、日本からみた中国は「日の没する方角」であることから、日本が日の出ずる(いずる)国」、中国が「日の没する国」という表現をされてきた。
表現的には「出ずる=昇ってくる」は勢いを感じますし「没する」は何か落ち込んでいくイメージがある。
まあ印象的に中国側が面白く思わないというのはわからないでもない。
対象相手が日本というのが余計に気に食わないのは昔からの因縁なのだろうか?
ちなみに吉田拓郎の「落陽」は大好きな曲の一つです。
日が落ちていく情景というのは悲しみも沈めてくれるように思えば悪くない。夕焼けは綺麗だし。
ところで日本には最近、窓際族と並んで厄介者扱いされている表現があります。
それが 働かないオジサン(オバサン) 。
窓際族と似て非なる者。
巧みに仕事を使い分けているのか、本当に仕事が出来ない人なのか、傍からみていると実に不公平な感じがするオジサン(オバサン)がこう呼ばれるようになってきた。
窓際族は自分の意志ではなく周囲から追い詰められてなってしまった感じがしますけど、働かないオジサン(オバサン)は行動に強い意志を感じる(笑)
周囲と同じ環境にいながら努力もせず結果を出さずともお咎めなしとなれば「ズルい」という目で見られてしまう。
同一労働同一賃金という考え方に立てば「同一賃金なのに同一労働じゃねーじゃん」とツッコミどころ満載な感がありますね。
特に真面目にやってる非正規の立場から見ると、正社員なのに非正規より能力・効率の悪い者は「働かないオジサン(オバサン)」と見られてしまいがち。
不公平感が生み出すキャラクターと言えましょう。
積荷オヤジさんの「走らないドライバー」というコンセプトもある意味同類かもしれません。
走らない という強い意志を感じます(笑)
ただし「走らない」 =「働かない」 ではないのです。
やらなくてもよいことを洗い出して効率を追求して辿り着いた考え方です。
ちゃんとやれよ!って叱られそうですが、ちゃんと働くってどういうこと?
1日中走り回って自分の時間を全消耗して稼げるお金&経費のバランスと、その半分以下の時間の配送で走る経費を抑え、経費のかからない複業を加え更に社会保険まで付けれて手元に残るお金が変わらないのであれば、走らないオジサンと呼ばれてもそれは「走ってないのに走っている人と同等以上の成果を出している」という誉め言葉だと思っています。
成果=荷量という常識に縛られなければの話になりますけどね。
軸を自分の成果と明確にしていれば、ドライバー仕事だけが成果ではないことに気付きます。
上記の「会社員としての働かない問題とは全く別物の働き方をしている」ということを忘れていませんか?
個人事業で経営者なのですから自分に不利益となることをするのってどうなの?
会社員であれば会社のルールの中で会社の利益のためにしなければいけないことはあります。
全体が歯車みたいに嚙み合ってようやく動く集合体ですから。
でもせっかく個人で自由に動けるのですから、自分で考え自分で組み立てることは最低限していないと。
周りと同じように働かねばならないという常識歯車に巻き込まれて、ノルマや経費地獄から抜け出せなくなっている軽ドライバーって、どこで独立した目的を見失ってしまったのだろうか・・・?
個人事業主には窓際族という概念はありません(社会全体から見れば職業の窓際族と思う人はいるかもしれません)が、働かないオジサン(オバサン)という自由は許されます。
働かない = 稼げない ではなく、変な働き方をしない方が稼げる可能性があったりする。
常識を非常識と思えるぐらいに大胆にやってみましょうよ。
自由な経営者なのですから、自分色の働き方を実行できなくて誰のための人生を歩んでいるのですか?