念じれば通ず

誰にでも「願望」はあると思います。その願望を成就するためにどのようなスタンスでいるでしょうか?

他力本願にしていませんか? 叶えば嬉しい程度の薄い願望でしかなければ、時々思い出しては「まあ無理だよな」と、実現への先送り先延ばしを続けている・・・ なんてことはありませんか?

 

「夢」や「願望」を抱いて生きることはとても大事だと思います。「目標」と置き換えても良いですけど、自分が目指す方向が明確であれば何をすべきかが見えてくる。目指す方向が不明確であるなら大海に浮かぶ小舟のようなもの。何処へ行くかは波まかせ風まかせとなるのに、辿り着いた先に愚痴・文句を言うことの繰り返し。

そんな人生を歩んでいませんか?

一応の願望はあるが、どこかに諦めの気持ちが占めていないか?すぐに何かに依存してその場を切り抜けていないか?自分の本心に嘘ついて誤魔化し誤魔化し取り繕っていないだろうか?

言い訳の正体は、そんな心の状態が口から出てしまうこと。自分の未熟さや努力の足りなさが言葉となって現れてしまう。就活等における優秀な面接官はどんな些細な言い訳も見逃しません。巧みな誘導質問に無意識に出てしまう応答の中で人間の本質が見抜かれてしまうんです。いくら面接対策したところで、マニュアルに無い意表を突かれたような質問には理論武装も崩されてしまう。

私もある時期応募者の面接対応していた事があるのですが、必ず仕事や会社と全く関係ない質問を用意しておりました(優秀な面接官というよりは単に意地悪なだけだったかも ^^;)。これは応募者の鎧の下を見るのに本当に有効で、ありきたりの面接では探れない人間味溢れる回答を引き出すことが私の役割と思っていました。なので今でも人の魅力を見抜く力はあると勝手に自負しております。

 

そんな私でもお恥ずかしい話、念じて生きて来たのかと問われれば「NO」と答えるしかありません。だから60歳近くになってもフラフラしたような生き方をしているわけですが、遅まきながらようやく「願望」が見えてきた次第で、ブログ上で自分の働き方改革を紹介しつつ、念じれば通ずるとOUTPUTしているのです。

効果のほどはともかく、自分の本心を探り出し正面から向き合うようになってからは何をするべきか行動に一貫性が出てきていますし、迷いなく自分の願望に向かって進んでいることは実感出来ている。会社員を辞めてからちょっと時間がかかりましたが、最近の世の中の動向が働き方改革という形で動き出していることを考えると、ひっそりとブログを続けてきて自分の考えが間違っていなかったことが証明されたようで少し嬉しい。時代がようやく積荷オヤジに追い付いて来た(笑)

 

ただ願望を念じていれば良いというものではなく、なぜ今の仕事に取り組んでいるのかという土台があるわけで、その土台を強大にするのか、違う土台を望んでいるのか、はたまた全然違った次元での願望があるのか、という方向性に基づいて念じなければならない。必ず結果が伴うとは限らないし上手くいかない時期があったとしても、それを克服してでも念じ続けられるだけの強い願望・夢であるならば、悪い方向に行くことはないと思います。

自分を信じられなくなるぐらい悲しいことはありません。ちょっと上手くいかなかったからといって諦めてしまうのは簡単。倒れても倒れても自分を信じて起き上がっていけば、その先には何かが見えてくる。子供の頃、自転車に乗れなかった時に何をしましたか?転んでも転んでも来る日も来る日も練習してきた結果、今では当たり前のように乗れるではありませんか。あの頃の無心で純粋に取り組む気持ちが大人になるにつれて損得感情に流され簡単に諦めるようになっていませんか?

「念ずれば通ず」というのは、一つの物事をやりとげる原動力なのだと思います。その原動力を育て生かしていけるのは各自の努力だし、努力の無い「念」は通じないのだと心していれば、結果に対しての不平不満は生まれてこないのではないでしょうか。

今自分が置かれている境遇への不満の多くは、それまでの自分の信念の無さ・努力不足が招いた結果だと思うようになってからは割とフラットに物事を見れるようになりました。

「あの時こうしていれば」と悔やんだことがあるなら、それが信念不足・努力不足だったことに起因していたのではと気付く今日この頃です。

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