正解の無い時代

正しいカギを見つけてもドアの向こうが望むものとは違うかも

勤務先企業、勤務場所、仕事内容、労働時間、給与、賞与、福利厚生・・・
あらゆる条件において全く不満のない働き方をしている人って、いったいどれぐらいいるのだろうか?

必至に受験勉強を頑張ってきて良い大学を出て、誰もが知っているような大手企業に就職し羨むほどの初任給を得たとしても、1年も経たずに辞めてしまう者もいる。
社会人のスタートに辿り着くまでは順風満帆。よほど親の無理強いで望まぬ苦労をしていなければ、ほぼ人生設計は予定通りに進んでいると思っていたことでしょう。

しかし自分は信じた道を歩んできたはずなのに、世界情勢、文明科学、社会経済は生き物であり、常に変化し流動的。
10年前に目標として定めていた場所は、その位置は動いていなかったが中身は大きく変貌していたなんてことは今では珍しくも無い。

就職先人気ランキングなどを10年前、20年前、30年前と時代を遡って眺めてみると、その時その時の社会経済の流行り廃りが見えてきますけど、それは今振り返れたからわかることですよね。
当時に就活していた者にとっては目の前の目標を定めることで精一杯だったし、ネットもSNSもない時代だったら尚更就職に対する考え方も今とは違う。

もう一度戻りたい!あの場所、あの時間、あの若さに!

私が終活していた時代は昭和の50年代中盤から後半のあたり。
日本経済もまだ右肩上がりを続けて元気な頃で、こんな私でも就職で苦労していない良き時代?
東京ディズニーランドが開園した頃で、少ない給料でも遊びに行ったなぁ・・・
当時は週休二日制の会社なんてほとんど無く、私もディズニーは日曜日の混んだイメージしかない。

学生時の私の就職への思いというのは漠然としていて、高校生の時代には「これやりたい、どこ入りたい」というのが全くなく、企画事が好きだったことから旅行代理店が面白そうかなぁとかろうじて考えていた。

そこで大学受験は「立教大学社会学部観光学科」一本。
日本初の4年生の観光教育&研究の学科であり、旅行代理店を目指すならここだろうと。
しかし結果は当然撃沈。合格発表すら見に行かなかった。
受験当日は雨だったことだけは鮮明に覚えている。
涙雨・・・(/_;)

経済が右肩上がりで旅行人気もうなぎ上りの時代に、日本唯一の学部学科で競争率も激しいところへ昨日今日旅行代理店に行きてぇ!なんてにわかアンポンタンが受かろうというのが間違いですな。
受験することさえ勘違いも甚だしい(笑)

学びは積み重ねてこそ実となり花となる。咲きましたか?

ここで私の人生は違うコースに進むことになるわけです。
もし旅行代理店という目標を早くから立てていれば、もしかしたら難関を突破して4年間みっちり専門的な勉強をしてどこかの旅行代理店に入っていたかも。

たらればを言えばキリがないが、旅行代理店に入社してもどの部署に配属されるかによって仕事の内容もだいぶ違うのでしょう。
私が旅行代理店を目指すにあたっての勝手なイメージでは、旅行企画をバンバン立ててあちこちに添乗員として参加し、公私混同して楽しく働けそうかなと。
旅行業関係者の方々の激しい非難の声が聞こえてきそうですが。

結局1年間は心の傷を癒すため(言い訳)に浪人し、あのアルフィーやかぐや姫、森田健作等を輩出した大学に進むことに。
決して芸能人になろうとしたわけではない(-_-;)
まあミッション系で女子も多く学業命というほどの硬派な学校ではなかった印象。
女性ファッション誌のような雰囲気に浸っていたことが私の将来への導線となったのか。

華やかさは大事。育った環境が就職にも影響する?

立教受験に失敗したことで現実の厳しさを知り旅行代理店への思いが消えた。
またダラダラと将来への目標がないままに過ごしていた中で、一つだけ有意義な時間を持つことができた。
いろいろな大学の草野球を愛するメンバーで構成された新チーム結成になぜか私も加わることに。

学内のサークルや同好会での草野球チームは全然珍しくないですが、大学の垣根を超えた編成チームというのは面白い。
たまたま他の高校で野球部で活躍していたメンバーが大学で離ればなれになった後でも野球愛が燻っていて、草野球チーム作ろうぜ!ってなった時に、そのメンバーの一人が私と同じ大学・学部で麻雀仲間だったことから声をかけてもらったと。

当時は今ほど高校数はなかったにせよ、神奈川県のベスト16クラスの野球部のレギュラー主体の草野球チームでしたからそこそこ強い。オリジナルユニフォームまで作ったし。
草野球って腹の出たオッサンがコミカルに動き回るイメージがありますが、結成時は全員大学生でミスはしないは四死球は出さないはで非常に引き締まった試合をしていた。

横浜スタジアムで働く野球オタクとのチームとも好試合したし、一番印象的だったのは高校球児でピッチャーとキャッチャーやっていた者がいたチームとの対戦。
球速130㎞以上のピッチャーなんて草野球でお目にかかることなど滅多に無い。

バッティングセンターの最速レベルの球をビュンビュン投げてくる。
130㎞超えで恐ろしく速いんだからプロの160㎞なんて怖くて打席に立てん!
たまたまエイヤッで振ったバットに球が当たってセンター前にクリーンヒット打ったら、相手キャッチャーに「ナイスバッティング」と褒められたことが妙に嬉しかったが、舐められてましたねぇ。

上手い下手より本気で取り組めるものがあることが大事。

そういう本気で打ち込める時間があったことは物凄く良い経験になっている。
ダラダラ学生生活を過ごすだけだったらずっと負け組で終わっていたかも・・・
いや、いまだに勝ち組になったことはないが・・・(-_-;)

この草野球チーム、会報が定期的に作られていてそれを作っている者のレイアウトや記事のセンスがとても面白く、こういうデザイン制作物作りの面白さを知ったことが就職先に広告代理店を選んだ一番のキッカケになっている。
感化されて通信教育のコピーライター養成講座なんて受講してましたから・・・

就活は無事広告代理店に入社することはできました(代理店マニア)。
ワガママな私が広告代理店を選んだ理由の一つが「ネクタイが嫌」だったというのもある。
コピーライターの仕事も面白いが何より制作部署は服装自由。配属を期待していたのですが、実績も無いので制作ではなく営業でした。

広告代理店の営業マンって花形っちゃぁ花形ですが、当初私はガッカリしたもんです。
じゃぁこんな私が旅行代理店でマトモに働けたのか?というと怪しいもんですな。
結局なるようにしかならないのが人生と割り切れた者は先へ進んでいけるのでしょう。
私は割り切れたわけではありませんが、幸運にも悪い方向へは進んでいないようで。

皆が自由に振舞う中でいかに自分の個性を見つけ出せるか?

「人間万事塞翁が馬」という素晴らしいことわざがあります。
不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたいことは、私たちの人生の中でも数多く経験しているでしょう。

受験や就活で望む結果を得ることができなくても、そのおかげで幸運を手に入れることだってありえます。
私だってもう15年もボーナスも無い非正規な働き方してますけど、経済的にも時間的にも会社員時代よりかなり恵まれた暮らしは手に入れることができた。
これが自分にとっての正解かどうかはわかりませんが・・・

正解を求めても何が正解なのかは誰もわからない。
何かと対比してようやく良さそう、失敗かな?と思える程度でそこから何を学ぶか?

過去は取り戻せないがそこから上を目指すことはできる。
結局はそれの繰り返しでしか人生は評価できないのかなぁ。
昨日よりは今日、今日よりは明日。
先へ進めることに感謝しましょう!

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