シンギュラリティ 2045年問題
来年に迫った物流業界の2024年問題が様々なメディアを賑わせていますが、〇〇〇〇年問題という具体的な西暦を当てはめて事前に警鐘・象徴化するケースは多々あります。
記憶に残るところでは過去に2000年問題というのがありました。
当時はコンピューターがようやく普及し始めた時代で、今では信じられないぐらいメモリーは貧弱・かつ高価であり、極力メモリーの消費を抑えるために年月日の西暦年号を下2桁のみに省略して使用するというプログラムが多く採用されていた。
ところが1900年代はそれで通用していたものの西暦2000年以降は下2桁が00から始まるため、それが1900年代なのか2000年代なのかをコンピューターが誤判断して交通機関や金融機関に重大な障害を発生させる恐れがあることから、当時は大騒ぎとなっていた。
結局、誤認識を検出・修正するソフトウェアの導入や人的作業によって懸念されていた大トラブルは起きなかったようですが、数年先に起こり得る誰でも気付きそうな問題点を、目先のこと優先でおざなりにするから後で大騒ぎとなる典型的な例ですね。
どこか物流の2024年問題と通じるところがあると思いませんか?
そして現在騒がれ出したのが「2045年問題」。シンギュラリティという用語の方がわかりやすい?
「なんだよ、ずいぶん先の話じゃねぇか!」とおっしゃるのもごもっとも。
2000年問題、2024年問題は本気で騒ぎ出したのはわずか数年前から。
問題点や起きる時期が具体的であったので対策も立てやすいと侮っていた節があり、直前になって慌てるというまさに愚の骨頂が繰り返されている。
ところが「2045年問題」は単純に時期だけを考えれば当面先の話だが、これは決定した時期ではなく、「2045年までに起こる」と表現した方が正しそう。
「AI」という人類の英知を遥かに凌ぐ可能性を秘めたテクノロジーが、いつ人類を凌駕するのか?
人類の社会や生活を一変させる「技術的特異点」のことを「シンギュラリティ」と呼び、これが2045年頃であろうという研究が進んでいる。
楽観的な考えでは人類の未来は「ドラえもん」の世界観を想像するかもしれませんね。
こんなこといいな できたらいいな
あんな夢 こんな夢 いっぱいあるけど
みんなみんなみんな かなえてくれる
ふしぎなポッケで かなえてくれる
確かにテクノロジーとして今は出来ないことでも数年後には可能になることはいっぱいあるでしょう。
携帯電話や記憶媒体の進化もそうであったし4G⇒5Gみたいな通信速度の向上もそう。
テクノロジーの相乗効果により様々な生活様式にも変化が起きていますね。
家電を中心とした「IoT」もそうだし自動運転も実用化はすぐそこまで来ている。
良いことばかりに思えるが、技術革新の何が問題なのだ?
実は現段階では「2045年問題」も憶測の域を出ていなくて本当に問題化するかどうかは未知数。
まず懸念されていることの一つが「ヒトの仕事が無くなるのでは?」ということ。
既にいくつかの仕事が10年後には無くなると言われていますね?
AIに置き換えても問題ない職業として、銀行員は真っ先に挙げられます。
1円でも間違えてはいけない世界ではヒトよりAIの方が信用が高いというのは頷ける。
実際、すでに金融関係ではリストラが着々と進行しているし、地銀同士の併合も珍しくない。
スーパーやコンビニ等のレジ打ち仕事も徐々に無くなりそう。
無人レジのスーパーやコンビニも増えてきているし、人手不足解消と労働時間問題もクリアできる。
倉庫業も私は実際に現場を見ているのでよくわかる。
何で毎日同じようなことの繰り返しをわざわざ人を使ってやっているのかな?と。
それでいて低賃金のくせに人手不足だ、募集しても人が来ないと嘆いている。
Amazonや大手物流センターではとっくにDX(デジタルトランスフォーメーション)は導入されているのに。
一般事務職も危うい。
電話の取次ぎやお茶出しも不要だし経理の仕事もヒトでなくても良い。受付も秘書もAIで代理可能。
身近にヒトがいなくなるのは味気ないが、ヒト以上の仕事ができるので仕方がない。
そして運送業やバス・タクシー。
ある地点からある地点にモノ・ヒトを運ぶというシンプルな配送は自動運転に取って代わられる。
AIに代えられないのでは?とされるラストワンマイルと言われている宅配等ですが、これも既に実験が始まっています。
イメージとしては地域の代表受け取り場所まで無人自動運転とロボットが配達し、そこで受け取ってもらう方法が有力ですが後は受け取り側がどこまで協力可能かにもよる。
コープ(生協)の宅配はマンションのエントランスまでの配送(住民による共同受取)も行っているし、配送の効率化とドライバー不足の解消のためには置き配も含めて受け取り手の理解が重要となっていくでしょう。
ここまではAIが人のコントロールが可能で信用できるという前提での話。
「2045年問題」の本当の懸念というのは、AIが人類を凌駕した時に果たして信用できる存在であり続けるのか?ということ。
あらゆる知性や能力がヒトを凌駕した時、AIはヒトをどのように認識するのだろう?
ペット?奴隷?便利な道具?
もはやヒトを何とも思わなくなった時、制御不能となり暴走を始めた時、ヒトはそれを阻止・改善できるのだろうか?
ヒト以上の存在となったAIをどう扱うのか?
一部の仕事が無くなるどころではない、人類の存続に関わる大きな問題となり得る恐怖。
映画の中にも「ムーンフォール」のようなAIが暴走するストーリーのものがある。
「飼い犬に手を噛まれる」という諺がピッタリか。
手をかけて育てた存在が恩を忘れて飼い主に襲いかかる。
いや、この時点でAIはもはや飼い犬ではなく主従が逆転してやりたい放題な立場かも。
2000年問題や2024年問題はある意味ヒトによる自業自得な面がある。
しかし「2045年問題」「シンギュラリティ」は人が進化していった先に行きついてしまった問題。
なかなか複雑であるが、かと言って未来を憂いて途中で進化を止めるわけにもいかない。
AIが暴走しないプログラムを最初から導入しておけばよいと簡単に思うのはどうなのか?
子供の躾・教育と同様に行き過ぎた干渉は可能性を消しかねない。
実に難しい問題ですね。
今私たちが出来ることは、AIといかに上手く共存していくか。
数年後に失われるとされている職業に従事されている人は、僅かな可能性にかけて現職を続けるのか、不測の事態に備えて違う働き方を模索するのか。
2045年問題が前倒しになりそうだというのは、テクノロジーの進化は直線ではなく指数関数的に発達することが予想されているから。
指数関数って難しい言葉ですがどこかで聞いたことありませんか?そう、あのアインシュタインが人類最大の発明と言った「複利」の増え方をイメージすれば理解できそうです。
あるテクノロジーが別のテクノロジーを誘発し、それが雪だるま式に増えていく。
最後には投資の世界の複利計算同様に想像を絶する結果となっている。
AIがそれ以上に賢いAIを生み出す段階が2045年とされていて、そこで人類の世界がどうなっているか?
その時にどうせ自分は生きていないからと無関心を貫くのか
テクノロジーは不死の世界をも可能にし人類は生かされるのか
人類の運命は人類によって作られたAI次第って
なんだかなぁ・・・