心機一転という言い訳
いよいよ大晦日となりました。今年を振り返り反省し来年こそはと心期する事も多いかと思います。この時期そんなことをするのも、年の変わり目だから。
気持ち・心を入れ替えるのに人が求めるのは「キッカケ」。逆に言えば「キッカケ」がないと入れ替えもままならないというのはいかがなものか。
「心機一転」という表現はよく使われますが、果たして言った本人に一転するほどの変化が見られているのかどうか。そこまで本気で変えようと思っていたのだろうか?単に便利な言葉として使われているだけなのではないか?
何か環境が変われば自ずとそれまでとは何かが変わるはずだし、心機一転したいために環境を変えることはよくある。転職も引っ越しも結婚も。中には望んでいない心機一転もあるけど^^;
人間、壁に突き当たったり伸び悩んだりした時に「何かを変えなければ」と考える時がある。そこまで大袈裟にしなくても、ちょっと休憩したり娯楽に興じたりしてリラックスすれば解決することもある。この程度であれば「気分一新」という表現の方がより当てはまる。事態は一転したわけではなく、再び前へ進み出したということでしょう。
一転させるということは大きく変化させることと思っているので、何でもかんでも「心機一転、頑張りまぁ~す!」という使い方をしている人を見ると、本気で事態を一転しょうと思っているのか?と疑いの目で観察したくなる。同じ会社内で部署が変わる場合、仕事の内容が大きく変わるならまだしも単に部署移動だけなら決意表明として相応しい言葉なのだろうか?それとも新たに配属される部署で何か革命でも起こそうというのなら大きな声で使ってくれ!応援したくなるぞ(笑)
まあ実際は第三者から見れば大した変化に見えないが、本人的には天地がひっくり返るぐらいに考えることもある。特に会社員から独立する場合、それまでの仕事の延長のようなことをするにしても環境は大きく変わるわけですから、これは「心機一転」という表現は当てはまるのではないだろうか。
私も会社員から独立した時には「心機一転」という意気込みでしたけど、その後複業=マルチワークを構築していく過程においては、新しい仕事・働き方を取り入れていく際にいちいち「心機一転」という感情はありませんでしたし、対外的にも使わなかった。流れの中で前へ進んで行く上での単なる事象にすぎないと。
これまでの人生で一度も「心機一転」する機会がなかったという人は羨ましいのか悲しいのかわかりませんが、2019年、もしくは新しい元号に変わる時、「心機一転」と言えるぐらい大きな変化を期待している人は結構いらっしゃるでしょう。一大決心するには良い機会が来年は2回ある。しかし毎年のように「心機一転、禁煙します!」とか「心機一転、酒断ちします!」と懲りずに宣言している人がいらっしゃるようですが、周囲からは悲しい目で見られていることをいい加減悟った方がよい。軽々しく何かある毎に言い訳しているようで人間の器が量れてしまいます。
「心機一転」という言葉はここぞという時に使いたい。本当に一転するような覚悟を持った時に初めて意味を持ってくる言葉ではないでしょうか。逆にそういう重い決心をできる状況を迎えることができるのは、本気で生きている人なのだなと感じてしまいます。決心することを躊躇うのは自信がない証拠ですが、覚悟を決めたなら自信を持って「心機一転」してください。そこから先が新たなキャリアとなり一回り大きな人間になっていけるのですから。
まだ開設数か月の新米ブログですが、この短期間に多大なアクセスを頂き感謝感謝でございます。約10年コツコツと続けて来た別ブログ「積荷くずし」の読者様も含め、厚く御礼申し上げます。
今後も現職の軽ドライバーさんおよび軽ドライバーに興味をお持ちの方々に、参考になるような求人等の情報や働き方の提案等続けていければと思っております。
来年以降も引き続きご愛顧頂ければ幸いです。皆様にとって良い新年を迎えることができることを願っております。ありがとうございました。