社畜上司不要論!私達の命・生活を守ってくれるのはオマエじゃない!

ウイルス騒動が起きてからというもの、世の中の状況が1日1日で慌ただしく変わっていくため嫌でも政治や経済に関心を持たねばならなくなった人、多いと思います。

仕事や生活の中で時短・自粛・待機といろいろ制約される中、本当に必要なもの・不要なものの見極めが大事になってきました。

 

緊急経済支援としてようやく国民に一律10万円支給という形に落ち着きかけてきましたが、こんな単純なことを決めるのに醜態を晒し続けた政治家の姿を見て「自分たちの周辺にも似たような人がいるよなぁ」と思った人、いませんか?

どうやらそういう人達に共通している「何か」がありそうです。

人生は障害物競争

誰もが同じ道を歩むわけではありませんが、人生の中で一度も挫折や苦労を味わったことのない人はいないでしょう。

もちろん挫折や苦労にも程度の差はあるでしょうけれど、人が人として成長していく過程においては挫折や苦労は必要不可欠だと思います。平坦な道しか知らない人はそれなりの筋肉とバランス感覚しか身につかない。

マラソンランナーが練習などでクロスカントリーを取り入れたりしているのも、起伏の激しいコースを走ることで変化に対応できる心身を鍛える目的があってのこと。

舗装されたコースのマラソンとは違う環境で走るため当然ケガというリスクも伴いますが、それを経験・克服することで精神的・肉体的な自信を得るメリットが大きいのです。

 

どうしても人は楽な道を選びがちですが、時にはあえて困難な道を選択することも必要になる。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」という有名なことわざがあります。

「鉄は熱いうちに打て」ということわざも似たようなもの。鍛える時期に大きな意味があるのです。

若いうちは楽観的に物事を考えているが人生は一筋縄ではいかないことを経験していきます。

事あるごとにハードルが待ち受ける。弱っちぃ自分のままではクリアできない。
志高い者は困難を受け入れ自分の未来を疑わない。自分を信じられない者は楽な方へ逃げていく。
鍛えられた者は多少のハードルは次々とクリアし次のステージに進むことができる。
だから鍛える(苦労を経験する)なら若いうちほど効果が期待できる。

人生という障害物競争に勝つためにはクロスカントリー的な苦しさを味わっておくことが大事なのです。

 

と、ここまでは綺麗ごとを並べてきました。

昭和の時代はとにかくやれば結果がついてきたので、苦しいことも受け入れることができたし会社や上司が何を言おうがあまり気にすることもなかった。

しかし時代はいつまでも甘くはない。
高度成長期が終わると「やれば結果がでる」ということもなくなっていきます。
企業には年功序列制に代わり成果主義が導入され始め、普通にしているだけでは生き残れなくなりました。

仕事に対する能力もそうですが、相性という要素も見逃せなくなっていきます。
昭和の時代はとりあえずどこかに就職して普通にしていれば定年までいることができました。
しかし今では仕事や会社とのミスマッチは許されなくなってきています。

 

そして勤める上でストレスが大きくなってきているのが上司との関係。

人生は出会う人によって結果が大きく変わってくる。その出会いを引き寄せるのは自分次第・・・
のはずなのですが、そういう理想論はなかなか現実的ではないですよね?

特にどんな人が上司になるなんて就職前にわからないですからね。
事前に企業研究はできても上司研究まではできないでしょう。学生時代の先輩のコネで入社するなら事前に部署や人間関係など教えてくれるかもしれませんが。

上司は選べない。もはや運・不運の領域。

「上司」というワードはサラリーマン川柳などにもよく登場しますが、まあ苦手、嫌い、ウザいの類ですよね。

なぜ上司は嫌われるのか?

「厳しい」「取っ付き難い」「キモイ」・・・

これは上司当人と部下との考え方・感じ方のズレがありそうです。

特に近年の上司が厳しい存在になっていると感じるのは、やはり成果主義にあると思います。

肩書がつくと会社から求められるハードルも上がります。
会社から見れば成果主義においては上司も部下もないのですが、上司も自分の身を守る必要がありあらゆる手を使ってでも自己防衛をしなくてはならない。

会社にたいしても「自分は職場の規律を正し一生懸命やってます」とアピールする必要があるため、部下と一定の距離感を保ち数字(ノルマ)にうるさくなる。
これは業務としては間違いではないのですが、そのやり方が上手くないため部下から勘違いされたり毛嫌いされる羽目になる。

部下とのコミュニケーションで悩んでいる上司は少なくない。
不器用な人ほど上司の立場になると変な行動を取ったりする。これがいろいろなハラスメントとなり更に人間関係の溝を深めていく。
現代は簡単に訴訟を起こされるのですから、会社と部下の板挟みである中間管理職というのは部下が軽蔑するような立場ではないことも理解しておきたい。

 

だからといって社畜上司をそのまま放置しておいても誰も幸せにはなりません。

企業存続のために売上げとか数字ばかりを追求する経営者の下っ端みたいな社畜上司に部下として身を預けるのは抵抗があるでしょう。

台風や地震での公共交通機関の乱れ、そして今回のウイルス騒動や体調不良の時にも「とにかく定時出社せよ!這ってでも会社に来い!」と平気で言うような上司は、ある意味庶民の敵です。

命に係わるような事態でも危険を強要する。これはもはや理想の上司がどうだとか会社のルールだとか言っている場合ではない。
立場を利用したハラスメント行為です。

生活ギリギリのお給料のためにこんな上司の下でストレスを溜め我慢を続けていくことが、この世に生まれてきた自分の存在理由なのだろうか?

誰が自分を守ってくれる人なのか?自分は誰のため何のためにここにいるのか?

生活のために働くというのは弱者が搾取される典型的な状況。

 

脱サラして独立してから私には上司という障害がなくなりました。
危険を感じたら回避することは可能だし自分のルールで物事を決めることができる。
上司などいなくても生活には支障がない。というか快適です。

自分の上で司る人がいなくても世の中は回るんですね。
成果主義の時代なら尚更そうなるはずなんです。
若くして起業して成功する人が増えているのが証明しているではありませんか。

自分の身は自分で守る。
ウイルス騒動で改めて気持ちを戒めている今日この頃です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です