ただの出涸らしの労働者になるな!
今年も残り1ヵ月ほどになりました。
年々社会情勢が複雑化・スピード化してボヤボヤしていると時代に取り残される焦燥感に襲われますね。
実際、自分の知識のはるか先を世の中が進んでいるわけで、一般人というジャンルでは普通に生きていくことさえままならない。
ごく一部の飛び抜けた有能な者しか生き残れない時代になってしまうのだろうか?
労働のあり方一つ取っても昭和の時代と現在では天と地ほどの差がある。
それはパソコンやスマホの有る無しだけで容易にイメージできるでしょう。
もし現代人からパソコンやスマホを取り上げたら、現在優秀なビジネスマンと言われる人は果たしてどうなるだろう?
公衆電話とFAXでも立ち回れるなら根っからの秀でたビジネスセンスがあるのでしょう。
さて、子供の頃からスマホやパソコンに囲まれて育ってきた若者と、頭が硬化しだしてからスマホやパソコンを使いだした中高年ではそもそもIT土台が違いすぎる。
これは英会話や投資にも同様のことが言えそうで、若いうちに日常的に接していないと苦手意識というものが潜在的に根付いてしまい、食わず嫌いという言葉が実にマッチする状況が生まれてしまう。
中には好奇心旺盛で何でも試してみようという気概のある者は、中高年だろうが高齢者であろうが若者文化にもハマることがある。
そこで自分の中に眠っていた「何か」に気付くことができたりする。
もっと早くに出会えていたら・・・と後悔もするのだが、そこから退屈だった人生が動き出すことだってある。
「何か」に出会うのが何歳になろうが遅すぎることはない。
むしろ出会えなかったら、いくら波風のない人生だったと満足していても本当に幸せだったのだろうか?
無難に生きるのがこの世に生まれて来た意味なのだろうか?
不幸にも現代社会では時代に合わない・会社の方針に合わない者は切り捨てられる。
米国の先進的な企業では不要と思えば従業員の半分だって平気でカットする。
メタ、アマゾン、ツイッター・・・ 今年だけでも挙げればキリがない。
勢いに任せて急伸する企業は採用も大量に行うが、解雇の数も日本の常識では測れないものがる。
有名企業に就職できたからと言って安心できない好例を嫌と言うほど見せつけられています。
日本も今は簡単に解雇できない法に守られているように思われていますが、人材の流動性という観点でもっと解雇を容易にできるようにするべきでは?という論争は以前から続いている。
最近は法の範囲で解雇できる方法として「早期退職制度」なるものが増えています。
要は雇用する側される側の合意の上での円満退社という形を金銭で解決するというもの。
企業の決算内容には一時的に早期退職金に充当したための損失が計上されますが、長い目で見れば人件費削減という経営改善を期待できるメリットがある。
ただし有能な人材を失い売上に影響するリスクもあるし、新規採用においても優良な新人に応募を避けられる(すぐにリストラするような企業というイメージが定着するなど)リスクも背負うことになる。
米国企業では堂々と公表する前向きな戦略のイメージだし、日本企業ではまだまだ後ろめたくコソコソやっているイメージに感じませんか?
軽貨物ドライバーに参入して来る人々の中には不幸な形で前職を辞め即収入を作るためにやむを得ず始めた方や巷の噂で良さそうだと始めた方、運転が好きな方、人間関係に疲れた方、自由な働き方に憧れている方などなど、新卒で就職するパターンと違って志望動機がバラバラ。
普通にどこかに就職しようとして面接でこんな動機を話したら・・・
皆様が採用側の面接官だとしたらどうしましょうかねぇ、こんな人たち(笑)
悪い表現になりますが、一応は人生経験がある「出涸らし」と見られがち。
「出涸らし」とは何度も煎じたり煮出したりして味や香りが薄くなったお茶やコーヒーのこと。聞いたことがある言葉でしょう。
味・香りこそがお茶やコーヒーの命。それが使い回されて薄くなってしまうのは・・・
実際、中途採用・転職する人にはそんなくたびれた感じの中高年が少なくない。
一般的には「出涸らし」は使い勝手は難しいし限られる。
料理の臭み取りとか肥料に混ぜたり虫除けに使ったりとか、無理やりこじつけた使い勝手に収まるしかない。
しかしそれで終わってしまっては「出涸らし」も浮かばれない。
「出涸らし」とイジられて逆ギレするのでは益々相手に「やっぱりその程度の器」とバカにされるだけ。
逆に「自分は出涸らしなんだ」、「負け組中高年なんだ」って自信喪失して相手の言いなりで働かされてしまっては、それこそホントに「出涸らし労働者」になってしまいますよ。
能ある出涸らしは味を隠す
中高年の底力を発揮してやりましょう。
出涸らしの潜在能力は見かけではなく経験がものをいうところを。
そのためにも今一度、自分の長所・短所・スキルの棚卸をして、何がこれからやろうとしていることにマッチするか、何が通用して何が通用しないのかを確かめなければいけません。
気持ち的にはこれまでの良いこと悪いことをリセットして、新たな環境にまっさらな状態で入っていくことも必要ですが、せっかく何らかの経験があるのですから、それをどこかで活かさないのは勿体ない。
自分を知らずに分不相応な働き方をするから何度も過ちを繰り返してますよね?
私の場合は軽貨物始める前は不動産職にいたので、土地勘と運転スキルだけは身に付いていた。
エリアによってはナビ無しで夜でもタクシードライバー出来るぐらいの土地勘はあり、それが活かせるエリアで軽貨物を始めようと考えていたし実際自宅近くのエリアで仕事することで時間もガソリン代も節約でき、複業の重要性も認識できた。
仕事に余裕が出来れば時間も生まれいろいろな工夫が可能になる。
お金のために時間を搾取されるような働き方は「出涸らし」一直線。
気力体力を消耗しノルマを厳しいと感じてからでは遅い。相手からは「出涸らし」と見られ「新茶」と交換させられる。
「出涸らし」を意識し「出涸らし」なりの働き方を考えておくべきです。
自分に向いた働き方と最低必要収入を知っていれば、「出涸らし」状態でも長く働いていくことは可能です。
目先の求人や待遇に惑わされることなく、「出涸らし」が認められる世界を探しましょう。
まさか自分が60歳過ぎて配達仕事をしているなんて昔は夢にも見ませんでした。
ところが労働者の「出涸らし」として追いやられていった感の軽貨物ドライバーでしたが意外にも心地よかった。
それは早朝から夜遅くまで配達しまくる宅配ではなく、時間の緩い企業配だったことも幸いしています。
時間の余裕が複業を可能にし、収入と労働時間の最適点を客観的に分析できたことも大きかった。
「出涸らし」でも一般的な会社員の平均収入を大きく超える働き方だってできるんだなぁと。
1つの仕事で結果を求められるような働き方は難しいが、緩い働き方でも複数を組み合わせることで「出涸らし」とは呼べない待遇は得られるのだと。
50歳後半辺りから人生が面白いと思えて来ました。
他人に振り回されない生き方って大事ですな。
「出涸らし」だと諦めちゃいけませんぜ。