たそがれ族

今年も残り11ヵ月となりました。脱サラしてからというもの、時間が経つのが本当に早く感じます。

とにかく何をするにも自由な反面、ボヤボヤしていると何も収入を生まない時間が過ぎていくだけ。収入は青天井でもあるし底なし沼にもなり得る自己管理能力が問われる刺激的な毎日です。

 

時間に対する考え方がシビアになると、働き方についてもこれまでの常識みたいなものに「?」と思うようになりました。毎朝、同じような時間に同じような方向に進んで行く人の流れ。定時になればまた遠い家路に向かう生気のない面々・・・ 私が会社員を辞めた理由の一つが毎日の機械的・退廃的な通勤にあったことはこれまでにも述べてきましたけど。

なぜ日本の多くの会社・社員は1日8時間という労働時間が基準みたいなものになっているのだろうか?労働基準法の「週40時間」という目安の数字は「1日8時間×(週休2日制=週5日労働)」をもとに算出しているのかも知れませんけど、給料も残業代も労働時間を基準にそれぞれの会社が決めていくなら、売上げも利益も人員も仕事内容も千差万別のはずの会社なのだからもっとそれぞれの待遇に差が出てきても良いように思うのですが、いろいろと求人を見ても談合しているのではないかと思ってしまうほど似たようなものに収まっている。

仕事的には8時間も必要としない職種もあるだろうし、定時まで時間を潰すために無駄な散財をして寄り道している外回りの営業マンや、仕事をしている振りをして眠気と戦っている内勤の方々の苦労(笑)はよくわかります。拘束されている8時間の使い方があまりにももったいない。当然現役の会社員の方々もその辺は感じているのでしょうけれど、すべての我慢はお給料のためと割り切っている(?)

 

ただ会社側から見れば、同じ時間同じ給料で管理しないと収拾がつかなくなるというのもわかる。個別に労働時間や賃金を設定すれば組織としてバランスを取るのが難しくなるでしょう。そういう意味では今では珍しくなくなったフレックスタイムは、硬直した考え方が多い日本の企業にしてはなかなか頑張った制度だと思う。年功序列の賃金形態も実力主義に変わってきているし、ようやく日本の横並び主義が崩壊しそれぞれの会社に個性が出てきているのでしょうか。あとは求人内容にももっと待遇の企業差が反映されれば、仕事を選ぶ側も応募動機がハッキリしてくる。

求人広告はハッキリ言って企業の本音は隠されている。胡散臭いコピーに誘われて入ってみたら期待していた働き方とは全然違う!というのはよくある話。特に不動産関連は注意したい。「完全反響営業!月収100万円も可能!」なんてよく見かける求人コピーですけど、夜中にチラシ入れにいったり1日中電話かけまくったりなんて当たり前ですから。どこが反響なんだよとツッコミたくなります。高給は可能ですけど求人で謳っている数字は過去の瞬間最大風速例ですから。それが毎月達成できそうだと勘違いしたら地獄を見ます。まあ高給を謳う求人は運送系にもありますけど、確約されている数字ではありませんから。歩合・出来高系の仕事ではナンボでも大きく言えますから。

 

毎朝同じ時間に通勤して同じように仕事して定時になるのを待って帰宅する生活。昭和の時代はこれが当たり前というか、これ以外の働き方がイメージ出来なかった社会。ただこれでも昇給を続け退職金もあり賞与もあり、帰宅してささやかな晩酌とテレビがあれば特に不満もない幸せな時代だった。

闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて

しかし今は生き馬の目を抜くような激動の時代。定時に会社出て晩酌してテレビみて幸せ~なんていう人はほんの一握り。SNSに追われ不透明な将来のため副業に走りたそがれるヒマもない。サザンの「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて(ミュージックビデオ)は会社員を経験した人には心に刺さる情景ですね。

「黄昏る=たそがれる」とはあまり良いイメージの言葉では無いかも知れませんが、あまりにも「個」を失った働き方が蔓延している世の中、どこかでたそがれる時間を持つことも必要なのかな と感じています。

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