貴方のモットーは?ポリシーは?
言葉って難しい・・・
昭和の時代は国語教育に一貫性があって、言葉の意味・使い方は割と皆が普通に使いこなせていた感がある。
しかし時代とともに若者を中心に「造語」が台頭してきて、同じ日本人なのに世代間で言葉が通じない・意味がわからないといった現象が起きてきている。
ただでさえ物忘れが激しくなってくる中高年には、日本語についていくのも大変(笑)
これは一過性のものなのか?日本だけのことなのか?今後も更にエスカレートしていくのか?
造語の中には市民権を得て一般的に使われるようになったものもある。
そのおかげで国語辞典は年々分厚くなっていく?(デジタル化が進んだおかげで影響は極一部に留まりそうではあるが)
面接では「あなたのモットーは何ですか?」と聞かれることはよくある。
面接対策の一つとしてこうした質問に対する準備・回答例などはネット上でも書籍でもすぐに見つかるのでさほど困ることはないでしょう。
しかし「あなたのモットーは何ですか?」に続いて「ではあなたのポリシーは?」と聞かれたらどうでしょう?
モットー? ポリシー? 同じじゃないの?
と軽くパニックに陥るかもしれません。
働き方や生活がグローバル化するにつれ使われる言葉も海外のワードや似て非なる意味のワードが頻繁に出現するようになっています。
大雑把なニュアンスで通じているうちはまだいいのですが、相手が求めているものに頓珍漢な回答をしているとどうにも収集がつかなくなる。
私も「モットー」と「ポリシー」は似たようなものだと思っておりました。
まあ一般人の日常会話レベルではおおよその意味は伝わるでしょうから問題ないのですが、そういうなあなあで済ますことを習慣化するとどこかで困ることが出てくるんです。
こういう素朴な質問系は ChatGPT の得意とするところ。
「モットー」と「ポリシー」の違いを指摘してくれました。
こういう便利・楽ちんが当たり前のままではいかんのでしょう。
調べたことを自分の養分として引き出しに取りこんだら、今度はアウトプットすることでいかに活用するかを自分の頭で考えていかねば。
「コンセプトは?」「テーマは?」「キャッチは?」「フレーズは?」
特にクリエイティブな仕事や現場では矢継ぎ早に似たような意味のワードが飛び交いますので、的確に質問を理解し相手の欲する解答を伝えないと制作物が変な方向に進んでいく。
面接のような準備マニュアルに頼っていると急な変化球に対応できなくなる。
曖昧な言葉や意味の違いを瞬時に理解し、臨機応変に対応する能力がスピード時代には求められる。
その場凌ぎの取り繕ったような回答と動揺はすぐに相手に伝わりますし、下手にカバーしようとすれば更に墓穴をほることにもなる。
時代が移り変わっても言葉の意味と使い方も変えていいわけではなさそうです。
AI等に頼るのが日常化したりデジタル化が進むのは、自分で文字を書かない覚えないという文化の裏返しでもある。
昔は親戚や知人の家の電話番号でも数十件分記憶していたものですが、今は何でも端末等に記憶させワンプッシュで呼び出せる。
便利は便利なのですが、たぶん一般人のもともと備わっている能力(記憶力等)は確実に退化する方向に向かっていると思われる。
認知症が広がっているのもそんな便利さが影響しているのではないだろうか?
内閣府「平成29年度版高齢社会白書」によると日本では2025年には約675万人(有病率18.5%)もの人が認知症になると予測されています。
これは5.4人に1人程度が認知症になる計算。わずか2年後ですよ!
認知症のシンギュラリティを考えると、健常者と認知症発症者の数が逆転するのもそう遠くない未来。
漢字が書けない・忘れたという人が低年齢化しているのも、子どもの頃から書かない・覚えないという生活習慣を考えれば当然ともいえる。
無趣味・無気力・無関心という人も認知症有力予備軍の可能性がある。
使わなければ風化していくのは脳も同じ。
電化製品だって何年も使わなければ故障の原因にもなる。
せっかくの能力も使わずに終わるのは何とも勿体ないではないか。
裏には製品サイクルの短縮化という、すぐにスペックがチープ化することにも問題はありそうです。
ドライバ―職だってナビに頼るのが当たり前になるのが良いとも思えない。
軽貨物ドライバーもタクシードライバーもベテランはナビに頼らず経験値がものを言う。
それは収入にも反映することが多いし客の信頼にも繋がる。
ナビばかり見て自信なさげに走るタクシーより、ナビなど見ないで自信ありげに走ってくれるタクシーの方が安心できませんか?
「モットー」と「ポリシー」の違いをタクシードライバーに当てはめるなら、自宅を知られたくない等で少し離れた場所に停めてもらいたいのか、ドンピシャで家の真ん前に停めてもらいたいのかの違いという感じか。
おおよその任務遂行・目的地は同じでも若い女性客なら前者は珍しくないだろうし、酔っ払いや融通の利かない雰囲気の客なら後者になるのかな?
客が何を求めているかを瞬時に感じ取れるタクシードライバーなら、ナビに集中するより客との会話(時には話しかけないのも喜ばれる)等の接点に重きをおける余裕も生まれる。
それが評価やリピートに繋がることもあるし、何より仕事が面白くなる。
しかし悲しいかなドライバー職の多くは「走ってナンボ」という、自分の収入を確保することに精力を注ぎこまねばならないような余裕のない働き方になってはいないだろうか?
YouTubeでも「いくつ配達した」「いくら稼いだ」を競い合うような内容のものが多いように感ずる。
最近は一時の勢いは薄れ、再生回数も少ないし嘆き系の内容が増えているようだが・・・
もはや配達数や稼ぎ額を競う働き方は次のステージに移っているのではなかろうか?
稼げそうだからやった、稼げなくなったから辞めた、と流動性があるのは悪くはないと思うのだが、結局何も身につかないままいたずらに時だけが流れていく。
そんな働き方は若く貴重な時に何を自分にもたらすのか?
自分のモットーは何?
自分のポリシーは何?
その違いがわかった上できちんと使いわけることができるだろうか?
そんな些細などうでも良さそうなことの積み重ねが、実は今の自分を証明していないだろうか?
モットーは「走らないドライバー」
ポリシーは「常識を疑い前例を作ること」
う~ん、これは正しい使い方なのだろうか?
こんなあやふやな働き方してるから老いても苦労しているのでは?
人生って難しい・・・